NOCEの家具バイヤーズブログ 2008年08月

NOCEのバイヤーズブログ

2008年8月29日 デトロイト・メタル・シティ

先週の日曜日を境にしてめっきり涼しくなり、
季節はもう秋に突入してしまうのでしょうか。
富士山には90年ぶりに早い雪が降りました。
週末も変わりやすい天気になりそうです。

もともとギャグ漫画でヒットした
「デトロイト・メタル・シティ」(DMC)が映画化されました。
何故この話題なのかというと
NOCEが協賛としてソファを提供しているからです。
ストーリーを全て語るわけにはいきませんがサワリを少し。

大分から大学進学のため上京してきた
「デスノート」でブレークした松山ケンイチ君が役する根岸君は、
フレンチポップス(ボンジュールレコード系?)
好きの少し内気な心優しい青年でした。
卒業後プロを目指しアコギ(アコーステッィクギター)片手に
路上ライブをしているうちそのセンスが認められて
レコード会社と契約することになります。
ところがその所属事務所
(この事務所のソファがNOCEのもの)から任命された仕事は、
彼の思惑とは違う「デスメタルバンド」になってしまうのです。
デスメタルとは、ヘヴィメタルから派生してきたもので、
ヴィジュアル的には「デーモン閣下」で
歌詞の随所に「殺人」とか「殺す」とかが連発される
(death)悪魔系メタルロックです。
これは、もちろん根岸君の目指していたものとは全然違ったのですが、
なぜか彼の潜在していたメタル系の才能が開花して、
バンド名デトロイト・メタル・シティのギターボーカル
「ヨハネ・クラウザー2世」として
デスメタル界の頂点に立ってしまうのです。
本物のキャラの根岸君とうらはらのヨハネとの間を
「僕がしたかったのはこんなバンドじゃない」
とコミカルにいったりきたりしていくのです。
「ジキル&ハイド」や「バットマン」的な要素もあり面白いです。
また主演の松山ケンイチ君もはまり役で
彼の演技も「さすが」というものがあります。

デト.jpg
撮影の様子※写真は一部加工をしていますので、
実際の商品形状と異なる部分があります。
左ソファ:BRISNEY1人掛け(レッド)¥29800
右ソファ:バルザック3人掛け(レッド)¥59800
ローテーブル:ロングコーヒーテーブルC001A(ブラック)¥14800

さて、実は僕も卒業後プロを目指して音楽活動をしていました。
もちろん根岸君のようになっていれば
この会社で愚痴ばかり言っていません。
当時、毎日6時間以上は楽器の練習をして
残りはカタギなバイト(割のいい病院の下水処理含む)、
その合間にリハーサルやライブ、
夜のバイト(通常ハコと呼ばれバーなどで演歌からジャズまで
客のリクエストに応じてやる仕事)に
学生時代から含めて7年間明け暮れました。
僕の目指していたものは、
どちらかといえばスタジオ系で
ヘヴィメタとカントリー以外はなんでもありでした。
それでも壁は厚くなかなかそれだけで食べていけません。
そんなころ、音楽事務所から
「所属の新人歌手のバックバンドをやってくれないか」
という話が舞い込んで来ました。
チャンスです。
売り込めるチャンスです。
所属のバンドがツアーで抜けてしまうので
その穴埋めらしいのです。
日数は5日後、埼玉のショッピングモールです。
まず、メンバー集めをしました。
当然譜面は初見レベル
(譜面を渡されたその場で弾く)でなければなりません。
けっこう大変でしたが、
電話で少し大げさに「いい仕事」とか「チャンス」とか言って
それがさらに大きな話になって伝わって
すぐに強力なメンバーが集まりました。
この中には現在有名プレイヤーとして活躍する人もいました。
当日、まず新人歌手と会いました。
「テレビ受け」しそうなアニメ声の彼女は
声優かタレント志望で歌手ではありませんでした。
そして渡された譜面をみて愕然としました。
殆ど2ビートの童謡なのです。
悪夢はこれからでした。
事務所の人がいきなり「好きなの選んで」と
動物の「きぐるみ」をもってきてどさりと置いたのです。
はめられた!
メンバーの目が痛い。
でも仕事として引き受けた以上断れません。
僕はクマ。
他はウサギ、
サル、
レッサーパンダの
動物バンドの完成です。
事務所のひとが申し訳なさそうに最後に
「今日は社長が来ているから売り込むチャンスだ」と
得意な曲を一曲エンディングにやっていいと言ってくれました。
社長はもとXXバンド(聞いた事ないぞ)の出身で
楽器がわかるから腕を試してみて欲しい。
そしてこのためだけに耐えてくれとバンドが始まりました。
観客は全部ママと幼児です。
誰も聞いてません。
アニメ声の彼女のあやす声がモールにこだまします。
そしていよいよエンディングの時がきました。
キーボードが作曲したプログレッシブファンクです。
16ビートのドラムソロから始まって
ベースのスラッピング(チョッパーともいう)
ギターのきざみから変拍子でキーボードが入って全員でユニゾン。
このあたりから、子供たちが耳をふさぎはじめました。
泣く子もでてきました。
当たり前です。
今までおだやかだった動物達が
いきなりどう猛になってしまったからです。
ウサギさんのソナーのベードラとスネアにジルジャン、
クマさんのアクティブ5弦ベースのスラッピング、
サルさんのセミアコ335の泣き、
レッサーパンダさんだけに立って弾くアコピ。
常軌を逸してます。
それを通り越して完璧お笑いです。
曲半ばにしてストップがかかりました。
怒りに紅潮している社長が出てきて
「いいじゃん。また今度やろうよ」
と、これは業界ではNGっていうことです。
僕はさんざんいい事をいって誘ったバンドメンバーに
会わせる顔がありません。
みんな早くきぐるみをぬいで
「また」とすぐに封筒のギャラをもらって帰っていきました。
社長は「ゴメンネ」と
タレントの肩を抱いて帰っていきました。
「なーんだ社長の女かよ」
悲しくてしばらくクマのままでいました。
僕も「僕がしたかったのはこんなバンドじゃない」
と、埼玉の空を見上げたかったのですが
クマの頭が引っかかってそれもできませんでした。
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  1. 2008/08/29(金) 03:08:22|
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2008年8月22日 Scheme(スキーム)

先週末、三日間夏休みをいただいてブログもお休みさせてもらいました。
昨晩の猛烈な雷が止むといきなり涼しくなって、
今日はもう秋の気配さえ感じられます。
この週末は、残念ながら天気に恵まれそうにありませんが
暑さは一服となりそうです。

今回は、カップボード(スキーム)の紹介をします。SCHEME YE×OR.jpg
もともと日本のメーカーの
流通商品を使用してどれだけ安く、
機能性もあり、
カッコよくできるか、
というスキームのもとに
商品化しました。
やはり一番のポイントは
鏡面シートを使った色にあります。
ここが当然「売り」なので
一番頭を悩ませました。
もともとの形は、
ガラス扉だったのですが
「これでは普通になってしまう」のと
コストダウンを兼ねて
思い切ってコントラストを強調できるような色のバランスを
考案(スキーム)しました。
ただ、鏡面シート自体はコストが高く
オリジナルで色から作ると莫大な金額になってしまいます。
そこで鏡面シートメーカーの持っている中から
セレクトするしかありませんでした。
これがけっこう難しい。
なぜなら当然、無難な色しかないからです。
ラヴェンダーとピンクとか
やってみたい組み合わせはいっぱいあったのですがそんな色はありません。
それでもその中からベストマッチング2パターンをチョイスしました。
スキーム.jpg 個人的には気に入っています。
(でもオレンジとグリーンはダメです。
湘南新宿ラインになってしまうからです)
そして次に悩んだのが真中のスペースの色です。
最初はブラックの鏡面の予定でしたが
あまりにもとんがりすぎてしまったので
ナチュラルのブナ材シートにしました。
しかし、これでは反対に無難すぎて
せっかくのコントラストが活かせません。
そこでウォルナットとなりました。
けっこう落ち着いていてカッコよくなりました。

そういえば、夏休み前に専務に誘われて飲むことになりました。
このきびしい競争の中で
NOCEがいかに残っていくかとか、
商品はどうするか、
横浜の新店はどうするかと無難な話をしましたが、
最後の頃、上司の話になりました。
「充分可愛がってもらっています」と答えたのですが、
専務の期待とは違っていたようで
口外はしないので「ここだけの話」をしてくれと言われ
ここにも書けない話をしてしまいました。
そんな事忘れて今週出勤してくると上司の様子がおかしいのです。
なんか当たりが強いというか、「ふーん」って感じなのです。
もしや!話が通じてしまったのか。
いや、専務が言うわけない。
ポケットにいれていた僕の携帯が
勝手に何かのひょうしに上司にかけてしまったのか・・・。
疑心暗鬼になりました。
それでも上司、感じ悪いので少し無視することにしました。
もう英単語を聞かれても教えてあげません。
僕を電子辞書がわりにするのはもう今日限りです。
「その意味わかりません」と勇気をもって答えます。
「中目黒君、アージェントっていう題名のメールがあるんだけど」
「それマズイですよ、緊急なんで早く開けないと」って教えてますよ!
情けない。
スキームという単語に「企てる」というネガティブな意味もあるのです。
SCHEME イエロー×オレンジ
グリーン
各¥69980
  1. 2008/08/22(金) 05:23:23|
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2008年8月8日 時代・・・90’S

ちょうど今、このブログを書いているときにドスンとやや強い地震があり、
予言が当たったのかと思いました。
今のところ被害はなさそうです。
外は相変わらず猛烈に暑くこの週末も続きそうです。
こちらの予言は当たっているかもしれません。

70、80、と続けてきたソファの紹介も90で最後となりました。
90.jpg
90’Sソファ
2人掛け ¥37,800
3人掛け ¥46,800
写真はサンプル商品です。
実際は、ブラック、
ホワイトの2色展開です。



90年は、その10年間を一言で言い表せないほど
前半と後半では違います。
90年代は、今まで繁栄を続けていたバブル経済の終焉とともに始まります。
大きな銀行や証券会社が倒産しました。
土地価格の下落に伴って色々な商品の価格が下がりはじめました。
いわゆるデフレ経済が始まったのです。
価格破壊、流通革命という言葉が流行りました。
バブルの崩壊には何時何分に崩壊したという定義はありません。
後になってだいたいこの時期だということになりました。
庶民生活では、価格が安くなった分だけ消費性向は強くなりましたが、
一方その分企業努力が必要になり
「リストラ」「就職氷河期」といった負の側面もありました。
レコード会社が経営する飛行機の格安チケットで
「落ちるかも」とヒヤヒヤしながら
ヨーロッパのブランド店に若い日本人女性が行列して
現地の人たちを驚かせました。
日本のカフェには、彼のポケベルに14106(愛してる)とメッセージを入力して
なかなか鳴らないポケベルを待っていましたが、
あきらめて近くの公衆電話から3470(さよなら)と
泣きながらプッシュフォンのボタンを押しましたが、
その夜高校時代の友達との飲み会がきっかけになり、
ラブストーリーが突然はじまりました。
E電の車内では、ツータックにダブルのバブリーなブランドオヤジが
当時としてはめったに見ない携帯電話(かなり大きい)で
自慢げに大声で話していました。
「ネェちょっとさぁ、俺の口座から10億円振り込んどいてくれる」と。

冬になると多くの若者がロマンスの神様に願いをかけて
スノーボードを持ってゲレンデに向かい
「アフタースキー」で初対面の男の年齢、住所、趣味、職業を
さりげなくチェックして、
すぐに恋愛関係に発展していきました。
ロマンスの神様に感謝できない人は
毎週ゲレンデに通うことになりました。

90年も後半になると変わっていきます。
ポケベルからピッチ(PHS)や携帯電話にかわり、
そこらじゅうで会話をしていました。
スーツもツータックや肩パットの入ったものから
スッキリした三つボタンになりました。
恋愛もインスタントではなくなりました。
人が少なくなったゲレンデは、
どこまでも限りなく降り積もる雪のなかで、
恋しさをせつなく感じていました。
突然の繊細なピアニストとの出会いは、
イチミクロンも可能性のない二人をゆっくりと
イチミクロンづつその距離を縮めていき結婚式場に導きました。
アイルトンマンションには今もスーパーボールが残っています。

この90年代(1996)に第一号店であるNOCE自由が丘店が
目黒通りにオープンしました。
後に目黒家具ストリートと呼ばれるほどインテリアショップができ、
インテリアブームに火がつきました。
当時、ヨーロッパ家具は高いものとされたものを
直接工場から買い付けて販売して価格を下げたのがうけて、
NOCEは全国に店舗をひろげていきました。

2000年代
 は、まだ語れません。
そのイメージのソファもデザインできません。
が、突然僕のところに取締役から
「この9月に横浜にオープンする店の
コンセプトとレイアウトを考えてくれないか」ときました。
自信ありませんが取締役からの命令には逆らえません。
それでもバイイングの失敗をカバーする
絶好のチャンスになるかもしれないので引き受けました。

これが、70、80、90、そして「今」ということで横浜店をお見せします。
yokohama.jpg
「ウーンよくここまで引っ張れたもんだ」と上司にイヤミを言われました。
「本当は横浜のこと紹介するために無理な文章考えたんじゃない」
「だいたい70’ 80’ 90’なんて変なネーミングのソファだし」

確かにちょっと出来過ぎかもしれませんが偶然です。
からくりは誰にも言えませんが。
  1. 2008/08/08(金) 05:21:21|
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2008年8月1日 時代・・・80´S

夏も盛りを迎え毎日あつい日が続いています。
週末も相変わらず暑くなりそうです。

今週も先週に引き続きソファ80’Sについてです。
この時代は、成熟してきた日本がいよいよ世界にはばたいていく時代です。
プラザ合意のもとに日本の円が世界の通貨と互角に渡りあうようにになりました。
いわゆる円高ショックです。
突然の円高により国内の輸出産業は壊滅的な被害を被りました。
つまり円高によって海外に輸出する商品が高くなってしまい
輸出が突然ストップしてしまったのです。
しかし一方では輸入商品が安く手に入るようになりました。
いままで高かった欧米の商品も驚く程やすくなったのです。
全ての日本の価値が上がったのです。
これがこの年代の象徴でもあるバブルに結びついていきました。
DCブランドというものが全盛期を迎え
アパレルメーカーの新商品が発売されるという情報が
トレンディな雑誌に掲載されると
発売日の2日前から行列ができました。
バブル景気はとどまるところを知らず
東京の土地を全部売ればアメリカ全土が買えるというほどでした。
最新のDCブランドのモノトーンのスーツに身をかため、
最新の白い大型クーペに乗って
湾岸の「イタメシ屋」
そして六本木の高級ディスコにアベックで行けば完璧でした。
金でなんでもできるといった中で
「何かを失ってしまったのではないか」と盗んだバイクで走り出し
本当の自由を求め夜の校舎の窓ガラスを壊して回って模索し始めた若者もいました。
竹の子族出身のアイドルが顔をだし、
ギンギラギンにさりげなくしていたのもこの時代です。

電話をかけようとダイヤルの指を止めてためらう妻が
金曜日に集う自由が丘のカフェと雑貨屋を兼ねた店がブレークして
空前の雑貨ブームになりました。
雑貨を専門に取り扱う雑誌が創刊されたり、
小さな個性的な雑貨店が次々とオープンしたりしました。
DC男やハウスマヌカンの生活は
その外見に反してとてもドメスティックでした。
そんな彼らに三ツ矢サイダーの景品のグラスをやめて
もっと「カッコいい生活しようよ」と始めた外苑西通り沿いにある生活雑貨店が
ある意味「おしゃれな生活を手軽」にの原点だったのかも知れません。

平凡に暮らす30代独身の男女7人が
自分を探しながら住んでいたマンションのインテリアが
「おしゃれな生活」を具体化させました。
家具のデザインは、世の中のバブルとは反対に
ゴテゴテとしたものよりシンプルなものが受けはじめました。
主流は重厚なものでしたが。

このときバブルを疑っている人は殆どいませんでした。

80´.jpg 80’Sソファ
2人掛け ¥39,800
3人掛け ¥49,800
※写真はサンプル商品です
 実際は、バイキャストブラック、
 バイキャストアイボリー、
 バイキャストセミバイキャストダークブラ
 ウンの3色展開です。
  1. 2008/08/01(金) 05:31:41|
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