NOCEの家具バイヤーズブログ 2011年12月

NOCEのバイヤーズブログ

2011年12月30日 Good Bye 2011

2011年最後の週となりました。
年末年始は全くカレンダー通りのお休みで
ゴールデンウイークより短くなってしまい
正月気分はありません。
今週は寒い日が続きました。
正月まわり、NOCEのある地域の天候は、
札幌、新潟は雪、他の地域は元旦に
曇りや雨になるそうですが他の日は晴れるそうです。

NOCE各店舗は、31日から2日までお休みをいただき、
営業は3日からとさせていただいております。
本年もNOCEをご愛願いただき、
誠にありがとうございました。
来年も引続き変わらぬお引き立てのほど、
全国スタッフ一同心よりお願い申し上げます。


今年最後となった新商品のご紹介は、
20111230-1.jpg












HY1857ソファ 3人掛け
¥49,800
幅183×奥行84×高さ86(44)cm
Made in China
※部分組立
◇色違いでダークブラウン、グリーンがあります。

中国出張の時にも取り上げさせていただいた
ファンクショニングなソファです。
中国出張のブログ内でも書かせていただきましたが、
機能的と言っても極めてアナログな原始的なものです。
両サイドにある
20111230-2.jpg 可動式アームを
20111230-3.jpg












中央に寄せると
20111230-4.jpg












アームチェアを2つ並べたような形になる
というわけです。
構造はいたってシンプルですが、
発想の面白さとアームを中央に寄せた時の
レトロ感が気に入ってバイイングしました。
デザインは全体的にレトロを意識したラインで
どちらのファンクションで使用しても
コンセプトは変わりません。
インテリアとしては、カフェ系を始めとして
シンプルやナチュラルと
割と多くのお部屋に馴染めそうです。
脚はラバーウッドのナチュラルを使用しました。
20111230-5.jpg












ファンクション系なのでダーク系の配色にすると
重くなると思ったからです。

ファブリックのカラーはレトロ調に合わせて
オレンジ
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グリーン
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20111230-7-2.jpg ダークブラウン
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20111230-9.jpg の3色になっていて、
どの色もこのソファの持つレトロ感に
マッチしています。

さてファンクションだけではインパクトが薄いので
ディテールにもこだわりました。
まずシートにポケットコイルを入れてあります。
そして背もたれのクッションとシートにフェザーを
ウレタンフォームに混ぜてあります。
このため座り心地が格段に向上しました。

さて、価格ですが¥49,800とワイドが183cmのソファに
ファンクション、フェザー、ポケットコイルと
デザインを考慮すれば格安と言えます。
ファンクションだけでなく、ポケットコイルや
フェザーなどのディテールにもこだわったソファ、
是非1度実物に触れていただければと思います。


今年も残すところあと1日となってしまいました。
2011年は、日本にとっても僕にとっても
忘れる事が出来ない年になると思います。
と言うより刻まなければなりません。
絶対忘れるべきではありません。

勿論、地震と放射能です。
3月11日に東北沖を震源とする巨大地震が発生し、
これによる大津波で沢山の方が犠牲になられました。
その後、この地震と津波の影響で福島にある
原子力発電所の自家発電装置が壊され
原子炉を冷却する事ができなくなり、
次々に爆発しました。
近隣は勿論、東京にも放射能が降りました。
やがて、水道、野菜、肉、魚から放射性物質が発見され
放射能の怖さを知りました。

さて僕のプライベートでは、母の病気でした。
4月の事です。
「胸が苦しくなる」という事で診察したところ
狭心症と診断され、このままだと
「いつ心筋梗塞を起こしてもおかしくない」
と心臓カテーテル治療を受けることになったのです。
驚いて狭心症について調べて見ると
以前ほど重い病気ではなく、
カテーテルによりステントを
狭窄(きょうさく。欠陥がコレステロールなどにより
細くなってしまっている所)部分に置いて
血管を広げれば時間も体への負担も少なく、
バイパス手術などは必要ない
という事がわかりました。

本人も仕事があり「そんなに簡単なら」と
自ら車を運転し、病院に向かいました。
カテーテルも終りという頃、ケータイが鳴りました。
カテーテルに失敗し
「脳梗塞を併発して意識が混濁している」
と言うのです。
慌てて病院に駆けつけると意識はありましたが、
目が見えませんでした。

そして、母は脳梗塞治療のため1ヶ月入院と
その後のバイパス手術をドクターから告げられました。
僕の浅はかな心臓病の知識でも
「バイパス手術という選択肢は無し」でしたが、
知り合いの医者に相談したところ
「狭窄が心臓の冠動脈にあり手術はやむを得ない。
今はそれほど大変な手術ではない」と
バイパスを勧められました。

それでも手術に24時間、リハビリに半年と聞いて
他に手はないのかと毎日、
ネットや本屋で心臓や病院について調べ始めました。
かなり詳しくなりました。
そして心臓カテーテルのスーパードクターを見つけ
迷わずセコンドオピニオンを決断し、
その病院に直接メールして出向いたのです。
1人で早朝から待つこと16時間、
指名させていただいたスーパードクターに会えたのは、
午前1時でした。入院先の病院で貰ったデータ(CD)
を見せると、「狭窄部分が石灰化しているが、
ローターブレイター(ドリルのようなもの)を使えば
出来そうですよ。切るのいやでしょ。」と。
この時の感激は今でも忘れません。

日本でローターブレイターを使用した
カテーテル治療では、彼が日本1だと僕は思っています。
ローターブレイターを使用した
普通は困難なカテーテル治療は大成功に終わりました。
ただ母の目は複視と言って「物が2つに見えてしまう」
という脳梗塞の後遺症が残り、
仕事を引退し一人で外を歩く事が
出来なくなってしまいました。(現在リハビリ中)

5月、プールに通い始めました。
この12月には100回を越えました。
フリップターン(プールの壁間際で
「でんぐり返しのようにするターン」の練習中
大量に水が鼻から流入し2日間くらい
味がわからなくなったこともありました。
フリップターンを繰り返し、1時間クロールで泳ぎ続け、
この寒空の中の帰り道、
視線が気になったので止まってみると
体中から湯気が大量に出ていました。

6月、放射性物質が様々な食品から検出されたため、
ランチの外食を控え安全な食材を使った食品を
スーパーで買ってきて食べるようにしました。

大好物のフランスパンのバケット1本と
北海道産野菜を使ったポテトサラダに
オージービーフのメンチカツ。
これに発酵バター風味のマーガリン。

これでも他人が見れば驚きですが、
マズイのはマーガリンの量です。
バケットに塗り始めると止まりません。
4回でパックが終わります。
友人が「パン食べてるのか、
バター食べてるのかわかんない」
と言うので僕は迷わず「バターのため」
と自信タップリ答えていました。

小学校の給食時代、マーガリン残す人に貰っては
パンに塗って食べていました。

7月、健康診断の即日結果発表で
「大変な事」になりました。
僕はメタボではありません。
体脂肪は10%前後を維持しています。
にもかかわらず、悪玉コレステロールと血圧が
大変な事になってしまいました。

母の病気のストレス。
毎日バケットにポテトサラダ、
メンチカツ、大量のマーガリン。
そして夜の酒。
「運動しているから健康」などあり得ませんでした。

医者に「この数値だと大変な事になりますよ」
と言われました。
これでは、今度は僕がスーパードクターの
お世話になってしまいます。
翌日からマーガリンとバケット、
ポテトサラダ、メンチカツをやめました。

いままで血圧など気にした事がなかったのですが、
それからプールの時に計るようにしました。
初めて計った日、異常な高さになってしまい母から
「救急車呼んだ方がいい」
と言われ慌てていると
「いつ計ったの?」と聞かれ
「泳いだ後」と答えると「バカ!」と
言われてしまいました。
数値が正常に戻ってから血圧は計測していませんが、
マーガリンは未だやめたままです。


8月、道を歩いていると「ひらひら」と
大きな綺麗なアゲハ蝶が
僕の足にまとわりつき始めました。
まるで手招きでもするかのように
僕を近くのみかんの木に呼び寄せます。
すると僕の目の前でたまごを生み始めたのです。

生み終えるとまた僕のまわりを「ひらひら」した後、
蝉時雨の残る夕方の夏空に消えていきました。



その夜、下北沢にはゲリラ豪雨と雷鳴が
夜空に響き渡りました。
小学生の頃、アゲハの幼虫を
家に蝶にかえした事がありました。

実は、アゲハのたまごからの羽化率は
1%もありません。
外敵やウイルス感染によるもので100個あっても
1個も蝶になれないこともあるのです。
その晩、雨は強く降りなかなか止みません。
ベッドの上でふと今日のアゲハの事を思い出し、
「何故、僕にまとわりついて僕の目の前で
たまごを生んでいったのだろう?」
考えていると「あのたまご達はこの雨の中、
無事だったのだろうか」と考え始めていました。

翌日、みかんの木を見るとたまご達は無事でした。
その日、夕方になると、台風の影響なのか
風雨が強くなり始めたので決意して
雨の中、たまごを取りに行く事にしたのです。
明日、みかんの木から「たまごが無くなっていたら
後悔するだろう」と思ったからです。

あの綺麗なアゲハは、こんな僕の行動を予想して
僕に育ててもらう事を頼んでいったのかも知れません。
葉についた、黄色い小さなたまごは全部で6個でした。
大き目なプラスティックの箱に
みかんの枝ごと入れておきました。

1つ目にかえったのは、
メスのメアリーでした。
(本当は番号で名付けていましたが、ここでは便宜上、
仮名を付けさせていただきます。)

2つ目はオスのジョン。
メアリーより少し小さいのですが
オスなので動き回ります。

そして3つ目はオスのトムで、
「大丈夫か」というほど体が小さく行動もあまりせず、
ただおとなしく動きません。
かえったのはこの3つで残りの3つはかえりませんでした。

はじめこの3匹は同じ葉に居て
葉を仲良くシェアしているように見えました。
メアリーは、体も大きくよく葉を食べます。
ジョンは体の大きさからメアリーに
気を使っているのか、用心深いのか
メアリーと距離を置いています。
一番小さなトムは葉の陰にいつもいてあまり食べません。
大きさはメアリーの3分の1くらいです。
成長に従い、同じ葉に3匹いることが
物理的にムリになってきました。
まるで暗黙のルールかのように
1匹1枚となっていきます。
新鮮な葉はいつもメアリーのもので、
なんとジョンが居ると頭でどかすのです。
トムは相変わらずで、葉の陰で痩せていくようでした。

ある日、行動力と運動能力に優れた
ジョンの逆襲が始まりました。
新しい枝葉を入れるとジョンは
素早く全ての葉を歩き回り一番柔らかそうな
若い葉をゲットしたのです。
この逆襲にショックを受けたのか
天下だったメアリーはこの日から動かず、
なんとトムと一緒に葉の陰に隠れてしまったのです。
そして相変わらずトムは葉の影に隠れたままで
とうとうジョンの半分の体になってしまいました。

これでは、ジョンもメアリーも死んでしまう
と思い僕は、過保護にも箱を3個買ってきて
それぞれ別々に育てる事にしたのです。

ジョンは箱の中をよく動きまわりました。
運動能力も1番なら用心深さも3匹中1番で
急に部屋を明るくすると体を起こし
僕を威嚇する事もありました。

個別の箱に変わり、おっとりとしたメアリーは
また以前のように葉を食べ始めました。

トムは相変わらず食べてくれません。
日光浴させても葉の陰に隠れてしまいます。
僕は毎日のように若い葉を取って3匹に与えました。


そして「さなぎ」になる時期がきました。
各ボックスにさなぎのために割り箸を置きました。

1番は、ジョンでした。そつない行動で
キッチリ割り箸に「さなぎ」を作ります。

2番は、メアリーでギリギリまで葉を食べ
極大になってさなぎになって行きました。
ただ、割り箸ではなく
「思い出のみかんの葉」の無くなった枝でした。

この頃、トムがようやく
食べはじめるようになったのです。
多分、トムはもし僕が居なかったら
生存競争に敗れ生きていけなかったでしょう。

トムにもその日がきました。
出来があまりよく「何でも要領の悪い」トムは、
割り箸でも枝でも「さなぎ」になってくれませんでした。
なんとプラスティックの箱に付けてしまったのです。
これは蝶になった時、
プラスティックの壁に足が掛からず滑って落下しその時、
生まれたばかりの羽根を痛めてしまう可能性があるのです。
そしてそれは死を意味します。
これは僕がいなければ生きて行けなかった
トムの一生は拾い物として
享受しなければならないのでしょうか。

それから3週間、葉を取る事も3匹の部屋掃除も
なくなりました。

そしてジョンにテークオフの日が来ました。
午前6時半、さなぎから出て
生まれたばかりの濡れた羽根を乾かし始めました。
割り箸の上でゆっくり羽根を閉じたり、
開いたり2時間、パタパタとし始めたので
プラスティックケースをベランダに置き
フタを開けるとあっと言う間にジョンは飛び立ち、
羽根を180度にして加速し、視界から消えて行きました。
全く手のかからないテークオフです。
しかも運動能力の高いジョンは
飛行もずば抜けていました。
行動力を活かしてすぐに彼女が出来るでしょう。

その2日後、大きなさなぎから
メアリーが出てきました。
生まれたばかりの羽根は息をのむような
鮮やかな黄色と紺色です。
体も羽根もオスより一回り大きくまた艶やかなので、
きっと「もてもて」になるでしょう。

ただ、性格がおっとりとしていて
なかなか羽根を動かして乾かそうとしません。
外は風が強く吹いています。
生まれたばかりのメアリーにとって
初の試練になりそうです。
3時間経ってもまだ、羽根を動かしません。
僕は「今日は風が強いから明日にすればいい」
と思っていました。
このまま飛行すれば壁に叩きつけられ
即死しそうなほど風が強く吹いていました。

すると、メアリーは突然、
羽根を広げ静止させたのです。
それは、僕にまるで「ほら、見て!」
と言うように。本当に綺麗でした。
30秒位、広げたままでしたが、
「この風の中、私、本当、飛ばなければならないの?」
とまたじっとしたままになってしまいました。

本能は無情です。羽根がパタパタ動き出しました。
別れの時が来ました。旅立ちです。
プラスティックケースのフタを開けると
また1度、大きく羽根を広げて静止させ
「最後に見て!」
と言って強風の中、飛び立っていきました。

小さなさなぎのトムがかえったのは、
その1週間後でした。
予想通りプラスティックの壁に足がすべり、
上手くさなぎから出られません。
割り箸を使い補助すると細い足1本が偶然
プラスティックのへりに掛かり
出る事が出来ましたが、
僕は割り箸を持ったまま
動かす事が出来ない状態になってしまいました。
トムは「本当にアゲハ?」
というほど小さく、
自然界で生きていけるのだろかと心配でした。

それから1時間僕は、
身動き出来ずトムのために
まだ割り箸を持ったままです。
手のしびれも限界でした。
このまま手を離し落下させて羽根を損傷するか、
羽根を僕の手で掴んで移動させて
生まれたての羽根を損傷させてしまうのか。
「もうどうせダメなら」と
ムリにカーテンに足を掛けさせ、
引っ張ると偶然違う足がカーテンに掛かり
移動に成功したのです。

これで僕も開放されたというわけです。
3時間後、羽根を動かし「フライトか」
と思ったのですがまるでスローモーションのようで
飛ぶ事が出来ません。
ようやくパタパタと他の兄弟たちがしたように
始めたのですが、力が弱く体が浮かびません。
僕は「もういいよ。この小さい体では、
どうせ飛んでもすぐにカラスのエサになるか、
近所の子供に捕まって羽根をもがれるか、
ネコのおもちゃになるかだぞ。
自然界は甘くない。諦めろ。どうせ死ぬなら
生まれたこの家で一生を終えればいい。」
と話しかけ「外は怖いところだ。」
と脅しておきました。

するとトムは納得したのか更に1時間、
全く動かずの「飛ぶ気なし状態」
になってしまいました。

僕は、窓を閉めトムを残して
昼のパスタの具を買いに
近所のコンビニに行きました。
トムがさなぎから出た朝から
5時間が経過しています。
帰ってくるとトムはそのままでした。

すると突然、僕の帰りを待っていたかのように
トムは「やってみるよ!」と
カーテンを早足で駆け登りはじめたのです。
トムは、上から落下し羽根を広げれば
風に乗れるかもしれないと考えたのです。

羽根を動かし始めます。
僕は「え、待て。考え直せ!」と。
やはり飛べません。
それから5分。
僕には長く感じられました。

トムが今度はゆっくりと更に登り始めます。
仕方なく僕は窓を開けました。
「よーし!」とトムはまるで足を外して
落下するように外に出ました。
そして落下しながら力を振り絞り
パタパタとしますが上昇しません。

ジョンのフライトとは全然違いました。
ベランダ前の空中でパタパタと停まったままです。
このままでは、
カラスかスズメにやられてしまいます。
「もういい!わかったから帰ってこい!」と
僕は叫びました。
トムが方向をこちらに向けた瞬間、
夏の南風がトムを空の彼方に連れていってしまいました。
遠くに見えるパタパタとする姿に
「幸せ」を祈る事しかできませんでした。

部屋には、3つのプラスティックの箱と、
3つのぬけがらが残りました。
見ていると、空に消えていった
3匹のアゲハが舞いました。

なぜか、涙があふれてきました。
秋になりかけた風と夕暮れが頬を乾かすと
大きな星が尾を引いて流れていきました。

「泣く事ではないでしょ」と
小学校1年生の僕に、
みかんの枝ごと「アゲハの幼虫」を持ってきてくれた
今は星になってしまった祖母が
囁いたような気がしました。

茜色の空には星が光り、その回りには
一際綺麗なひとつのおおきなアゲハと
3つの小さなアゲハがひらひらとしていました。

今年最後の長文お付き合いいただき、
深く感謝申し上げます。
よい年をお迎えください。


2011年12月30日
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  1. 2011/12/30(金) 03:33:02|
  2. バイヤー&スタッフのブログ

2011年12月22日  クリスマス 2011

今週も冬らしく寒い日が続きました。
今週末はイブを絡めた3連休です。
イブの計画はお済でしょうか。
イブの晩、レストランのテーブルはカップル専用なので僕は、
家か友人宅でホームパーティになりそうです。
今晩からブルギニオン(牛肉の赤ワイン煮込み)のために
オージービーフを赤ワインにでも漬け込んでおきましょうか。
それとCDの山からアヴェ・マリアのCDも掘り出さないと。
クリスマスだけに。
クリスマスの週末ですが、
NOCEのある地域で札幌、仙台、新潟、福岡は雪になるそうで
他の地域では晴れそうです。
いつもなら「あいにく雪」と書くところですが、
今週はクリスマス、雪の降らない地域にとって
ホワイトクリスマスは憧れです。
「うらやましくも雪」と言いたいところです。
歩道の新雪をサクサクと踏みながらたどり着いたレストラン。
曇ったガラス扉を開けるとキャンドルの灯ったテーブル。
シャンパングラスで乾杯ではいかがでしょうか。
週末のご購入で年内配送が間に合う地域もございます。
年内配送ご希望のお客様は各店舗にお問い合わせいただければと思います。
寒い日ではございますが、
お出掛けの際には是非NOCEをご覧いただければと
全国スタッフ一同お客様の御来店をお待ち申し上げております。
良い、クリスマスをお迎え下さい!


今週の新商品のご紹介は、1人掛けのチェアです。
1222-01.jpg CH1045リラックスチェア 
¥19,800
幅70×奥行63×高さ80(42.5)cm
Made in China

今年の中国出張でご紹介させていただいた商品のリリースになります。
初めて見た時からほぼ一目惚れ状態で
「バイイング」は即決に近いものでした。

決め手はなんといっても「丸みを帯びた」デザインと
1222-02.jpg 横からの見たフォルムでした。
1220-03.jpg イタリア人デザイナーに手がけられたこのチェアは、
ダイニングチェアと言うよりラウンジチェアの要素が濃く出されています。
このため横に大きくゆとりがあり、座高は低く設定されています。
このバランスがおそらくこのチェア全体のデザインを
決定しているのだと思います。

インテリアとしては、カフェ系やモダンなど
クセのある所で活躍しそうですが、
シンプル系でもチェア自体に主張があるので
お部屋のアクセントととして充分活用できそうです。

用途はソファ代わりが良さそうです。
2脚購入で丸を意識したローテーブルと組み合わせれば
カフェ、ラウンジ、ホテル系インテリアが実現できそうです。

シートの素材にはベルベット調のマイクロファイバーに
縦のラインの入ったファブリックを使用し
高級感とレトロ感のどちらも演出しています。
1222-04.jpg フレームは贅沢にウォールナットの無垢材を使用し
高級感を更に増加させています。
1222-05.jpg

カラーはオレンジ、
1222-06.jpg グレイブルー、
1222-07.jpg グリーン、
1222-08.jpg ブラウン
1222-09.jpg の4色になります。
1222-010.jpg どの色もフレームのウォールナットに合わせてチョイスしてありますので
お部屋の雰囲気やお好みでお選びいただければと思います。

さて価格ですが19,800円と少し贅沢に感じられるかもしれませんが、
このデザインにウォールナットのフレームを考慮すれば
決して高価なものではありません。

画像では少し小ぶりに見えますが実際はもっとズッシリとしています。
また座り心地もグッドなので是非NOCE各店舗で
実物をお確かめいただければと思います。

冬の寒い夜、このチェアでホットワインなどいかがでしょうか。
「サイレンナイト」がゆっくりと過ぎていき、
教会の鐘の音が深い夜に融けていきそうです。



今週はもうクリスマスの週です。
今年のカレンダーは、金土日が3連休で最高な並びとなっていて、
まさに「Happy Mary Christmas」です。
雪の国に出かけるのも、レストランで食事も、
おうちで静かにも最高です。
僕は、シャンパン開ける口実が増えてとてもハッピーです。

今年のクリスマスソングのランキングですが、
やはり山下達郎さんの「クリスマスイブ」がトップだそうです。
1988年、JR東海のCMソングに起用され、
遠距離恋愛の切なさにオーバーラップさせたメロディは、
クリスマスをカップルの物にしたマイルストーンともいえます。

今年、最も注目されるクリスマスソングは、
やはりマイケル・ブーブレがマライア・キャリーの
「All I Want For Christmas Is you」邦題「恋人達のクリスマス」を
カバーしたバージョンでしょう。
マイケル・ブーブレは、巨匠デビッド・フォスターに見出された
カナダ出身のアーティストでアメリカでは既に
グラミー賞最有力候補として大ブレーク中です。
FENのラジオでもよく耳にしますが、
まだ日本では馴染みが薄いようです。

僕も勿論、「クリスマスイブ」は好きですが
マイナーなところでボニーピンクの「オレンジ」が好きです。
「クリスマスイブは・・・」と聞くと今でもジーンとしてしまいます。

という事で

クリスマスイブのその日、僕は下北沢のホームで
1222-1.jpg
















新宿へと向かう小田急線を待っていた。


今年はイブが土曜になったため、
仕事や残業に追われず夜を迎える事ができる。
そうかといって僕はあまり仕事熱心な方ではない。
毎日が当たり前のように何事も無いように過ぎて行き、
穏やかに布団に潜り込むことが出来れば最高に幸せだと感じていた。
昇給して責任が重くなるなら昇給も昇進もいらない。
将来もこの時間が永遠に続く事を願っていた。
それを上司は「面白くない奴とか希望の無い奴」と呼ぶが
幸せや夢の尺度など誰にも計れる筈ない。

新宿行きの各駅停車の













閉まる扉が現実と非現実の境界線に変わっていく。
1222-4.jpg 垂れこめた雲に新宿のビル達が意味の無い抵抗をしていた。















今の会社に勤める前学生時代、当たり前のようにスーツを着て
当たり前のように会社説明会に出向き、
みんなと同じように就職試験を受け、そして当たり前のように落ちた。
不合格通知にも飽きた頃、自分を必要としてくれる会社に入社した。

彼女に初めて会ったのは同期で入社したその頃だった。
その後特別、気にも止めていなかったが
付き合うきっかけは3年前、彼女の送別会だった。
半年後に故郷の新潟で「造り酒屋で修行し杜氏を目指す」というのだ。
輝いた瞳で日本酒を語る彼女に僕は傾いていく。

電車が代々木上原駅を過ぎる頃、
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彼女が新潟に帰る直前2人で行った駅から
近くの「日本酒とそば」の店を思い出していた。

全く日本酒のわからない僕に夢を語る彼女。
「越後は日本を代表する吟醸酒の産地。久保田や万寿だけじゃないのよ」
そして後継者不足に悩む小さな造り酒屋と自分が決心した意義について。

夜が明けていく事さえ気付かなかった。
遠距離恋愛はその日から始まった。
彼女の越後の造り酒屋での修行も始まった。
僕の変わらない生活に恋愛が加わった。

新宿に着く。
1222-7.jpg












埼京線に乗り換える。
1222-8.jpg 少しずつ
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新潟との距離が
1222-10.jpg 縮まっていく。
1222-11.jpg














新しい発見に彼女からのメールは多い時、1時間に2回もあった。
内容といえば僕に解らないものばかりでバックするのに必死だった。
それでも僕は理解しようと努力していた。
日本酒の勉強もした。
久保田や万寿の他に腰乃寒梅や八海山、〆張鶴も覚えた。
馴れない日本酒で翌日会社を休んだことさえあった。
当たり前の毎日の僕とすべてが新しい彼女。
メールも電話の回数も減っていくのに時間はかからなかった。
返事に困って、ありもしない残業を理由にした事も、
架空の飲み会中でメッセージを録音させた事も
面倒臭かったからではない。
変わっていく彼女がただ怖かっただけだ。
去年の夏、2人で柏崎の海に行った時、彼女から聞いた初めての弱音。
受け止めることも理解する事も出来なかった。
励ますつもりで言った僕の「好きなことをやってるんだから」に
彼女は思いっきりキレて
「あなたって悪い人じゃないけど、いい人でもない!」と
大きな声で泣き始めた。
この時、すこしずつ離れてしまった2人の気付きたくなかった距離が
計れたような気がした。
心のひだなど他人にはわからない。
ギクシャクしながらも遠恋は続いた。
僕は結婚を意識し始めていた。
「彼女の挫折の受け皿」として会社に勤め続けるのもいい。
会社を辞めて新潟で造り酒屋の手伝いもできるかもしれないとも
思い始めていた。

その年のクリスマス、
無理言って「仕込みの最中で忙しい」彼女を東京に呼んだ。
「昔の同僚に会いたい」彼女の気持ちを利用して。
酒造りに対する情熱、後継者を絶やしてはいけないという
信念を語る彼女は、同僚の中でも輝いて見えた。
忙しい彼女は、日帰りのため最終の新幹線の発車時刻9時40分に
東京に行かなければならない。
僕は同僚達に「彼女に話がある」と早めにその場を去り、
「東京駅に行く前に少しだけ寄り道してもいい?」と
タクシーを捕まえて彼女と東京タワーに向かった。

オレンジに光る東京タワーの下で僕は
「クリスマスツリーの代わりなんだけど。メリークリスマス!」と
ポケットを探った。
「へー。
いつもビルに埋もれてるけど、ほんと、綺麗!」と
いつもの彼女とは違うオレンジに反射する無邪気な横顔に
僕は全ての自信を失ってしまった。

最終の新潟行き新幹線のドアが彼女と僕の間を閉じていく。
手を振る笑顔はやがて新幹線の赤いテールライトに変わり、
僕のポケットには行き先を失った婚約指輪が残った。

今年の夏、「柏崎の海にはもう行けない」という
一通の直筆の別れの手紙が届いた。
慌てて彼女のケータイを繋ぐと泣きながら
「それなら今から来てよ!」とそれだけだった。
3.11の震災後、業績低迷中で
会社を突然休めばただでさえギリギリで勤めている身、
リストラは必至。
しかも人員整理中で休めるわけない。
彼女に理解してもらえる時間もない。
ここで「僕が会社を辞めて造り酒屋に修行に行く」という
勇気もなかった。

大宮で新幹線の
1222-12.jpg












新潟行きチケットを買い
1222-13.jpg はやる気持ちを抑えながら改札に通す。
1222-14.jpg
















MAX「とき」に乗るために
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18番線を上がる。
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大宮を
1222-17.jpg 15時38分に
1222-20.jpg












出発した
1222-21.jpg MAX「とき」は新潟に向かった。
1222-22.jpg












太陽が沈んでいく。


新潟に向かう車窓の景色が
思い出のひとこまのように飛んでいく。

あの時、この新幹線に乗っていれば
1222-24.jpg












時をもどすことが出来たのだろうか?
1222-25.jpg 扉が開き
1222-26.jpg
















新潟駅に降り
1222-27.jpg 万代口に向かう。
1222-28.jpg












この春以来の新潟の
1222-29.jpg
















自動改札にチケットを預け
1222-30.jpg 駅前の通りを万代橋まで歩く事にした。
1222-31.jpg 1222-31-2.jpg

初めて新潟に来た3年前、
彼女に案内されながら万代橋を渡り古町まで歩いた。
信濃川の風が新鮮だった。
道の途中、新潟で一人暮らしを始める彼女に付き合った家具屋があった。
1222-32.jpg 1222-32-2.jpg 歩道橋を渡り、予約の時間に間に合わせるためタクシーを拾う。
1222-33.jpg 1222-34.jpg 2人で歩いて渡った万代橋が雨の中に霞んでいく。
1222-35.jpg












古町を過ぎ坂の途中に予約してある
「オステリア、バッコ」というイタリアンがあった。
1222-36.jpg

2年前、彼女の誕生日を下北沢にあるイタリアンで祝った。
青山にもあるイタリアンで、
イタリアで修行を積んだシェフが腕を振舞う評判の高い店だ。
そのシェフの実家が古くから新潟でイタリアンをやっていて
この11月から店を継ぐことになったという。
僕はクリスマスイブの晩に2人のために
「思い出のディナー」のテーブルを予約していた。
6時半の予約で「21時32分の最終新幹線で帰るため
8時半まで待っているので少しでもいいから来て欲しい」と
彼女にメールを送っていた。
必ず今夜なら言えそうな気がする。
「会社辞めて新潟で始めよう。
2人ともダメになってしまったらそれから考えよう」と。
「結婚しよう」と。
外の雨は雪に変わった。
時間は8時をまわった。
きっと君は来ない。
1222-37.jpg
















1人きりのクリスマスのテーブルが静かに最終電車までの時を刻む。
シェフにお礼を言い、
2人分のディナーの勘定を済ませタクシーに行く先を告げる。
くもる窓の万代橋を吹雪が白く塗り替えていく。
東京行きのチケットを買いホームにあがると 最終のMAX「とき」352号が最後の扉を開けていた。
この扉が閉まる時、何かが本当に終わる。
1222-38.jpg
















缶コーヒーを飲みながらデッキに立ちその時間を待っていた。
コーヒーを飲み干すとポケットから指輪を取り出し缶の中に納めた。
出発と共に捨てるために。
発車のベルと、最終列車をアナウンスが大きく駅に響き渡る。
扉が閉まる。
大きくため息をつく。
すると誰もいないホームに見覚えのあるコートが見えた。
閉まった扉から走る姿に僕は思いっきり手を振った。
気が付いた彼女は両手を擦り合わせ半べそで「ゴメン、ゴメン」と。
そして駅員に列車を止めるように猛抗議をしている。
僕は「またムリ言って」と笑ってしまった。
そして僕は、缶から指輪を取り出そうと缶を逆さにしても出てこない。
空しくカラカラと缶の中を指輪が遊ぶ。
新幹線が動き出す。
彼女は泣きながら追いかけて歩き出す。
小走りになった彼女にようやく落ちてきた指輪を扉越しに見せた。
うなずいた彼女が、扉の向こうに消えた。
僕の手にはコーヒーの香りのする指輪が残り、
彼女の目には雪の中に消えていく僕の新幹線のテールライトが残った。


この話はフィクションです。
実在するものは背景の他、NOCE新潟店とオステリアバッコだけです。
オステリアバッコは、僕も下北沢で利用させていただいたお店で
味も保証します。
特にこのタヤリン(手打ちの細麺)の
バターソース、トリュフがけは絶品です。
普通のパスタより高めですが1度確かめていただきたい一品です。
おまけ.jpg それでは、素敵なクリスマスをお過ごしください。

  1. 2011/12/22(木) 01:58:33|
  2. バイヤー&スタッフのブログ

2011年12月16日 皆既月食

今週、関東は思ったほど寒くならず、特に昨日の日中は
シャツ1枚でもOKでした。
今週末のお天気ですがNOCEのある地域では冬型気圧配置の影響で
札幌、新潟の土日、福岡の土曜は雪になるそうですが、
他は晴れるそうです。
街はイルミネーションで飾られています。
マフラー巻いて、ポケットに手突っ込みながら、
暮れていく年をイルミネーションの下
そぞろ歩きは如何でしょうか。
そしてその際は是非NOCEにお立ち寄りいただければと
お客様の御来店をお待ち申し上げております。

先週まで3週続けて特集を書かせていただいたので
今週は、新商品に戻りたいと思います。
今週は1人用ソファとオットマンをセットにしたものです。
2011.12.16-01.jpg 8069ソファ 1人掛けセット ベージュ
¥19,800
ソファ:幅52×奥行69×高さ70(40)cm
オットマン:幅45×奥行45×高さ40cm
Made in China
※部分組立
◇色違いでダークブラウン、グリーン、オレンジがあります。

この商品は以前、2人掛けとカウチをセットにして
システムソファとして販売したものですが、
あまりヒットしませんでした。
デザインが丸みを強調しているため、システムソファにすると
大ぶりになってしまい「良さ」が出なかったからでしょうか?
そこでこのデザインをより強調させるために
「小ぶり」にして再デビューさせました。
デザインは北欧系を基本にしたレトロスタイルです。
ハの字状に外に向かって開く脚は
正にその北欧系の典型とも言えるもので、
さらにその上に丸みを帯びたソファやオットマンが融合し
バランスのいいレトロ感を形成しています。
丸みが強調されてもあまりフェミニズムに偏らず
マニッシュな印象さえあります。
インテリアとしてはカフェ系が基本ですが
ナチュラルやシンプルは勿論、がんばればモダンまで通用しそうです。
一見あまり機能が無さそうですが使い方によっては充分機能します。
まず一般的に「ソファとオットマンで足を投げ出してくつろぐ」です。
2011.12.16-02-1.jpg 2011.12.16-02-2.jpg














ソファと
2011.12.16-03.jpg












オットマンを独立させれば2人で別々に使用できます。
2011.12.16-04.jpg 更にオットマンとソファを横に並べると
2人掛けソファの代わりになったり、
横に寝たりする事ができます。
2011.12.16-05-1.jpg 2011.12.16-05-2.jpg

そして2台ご購入いただくと上記の機能が倍になります。
コントラストで違う色を組み合わせればさらに楽しくなりそうです。

カラーは、
2011.12.16-06.jpg














グリーン、
2011.12.16-07.jpg オレンジ、
2011.12.16-08.jpg












ダークブラウン、
2011.12.16-09.jpg ベージュ
2011.12.16-010.jpg












の4色でどれも落ち着いた風合いでレトロ感にマッチしています。
さて価格ですがセットで19,800円と格安です。
機能や雰囲気を考慮すれば割安感が更にまします。


最近アメリカでは由紀さおりの「夜明けのスキャット」が
ブレークしているそうです。
日本でもコールドプレイ(レディオヘッドの派生系)が
流行っています。
世の中が行き過ぎてしまいそうな時間を巻き戻しているのでしょうか。
冬の寒い夜、お部屋にこのソファとオットマンを置いて、
白熱灯のペンダントに石油ストーブと少しだけ
甘いミルクティーの香りがあれば、
時代と時代の溝が少しだけ埋まっていくような気がします。

先週12月10日、皆既月食のオレンジにぼんやり光る月が
くっきりと夜空に浮かび上がりました。
下北沢の街は、路地も駅のホームもオレンジの月を見上げる人達で
いっぱいだったそうです。
僕はなんと「盃」を別な理由で早い時間に捧げてしまい
眠くなっていたため
シャンパンを月に捧げることはできませんでしたが、
カメラに収める事はできました。
家のベランダからは月の光りがなくなった空に
薄く光る月と輝く星達が無数に見えました。
オレンジの月をオリオン、ふたご、おうし、おひつじ座が囲み、
それは幻想的な光景でした。


ところで1970年代に「渋谷系音楽」の元祖ともいえる
ブレッド&バターという兄弟ユニットが
「ピンクシャドー」という曲を歌っていました。
僕はその曲を「山下達郎さんがカバーしたバージョン」
で知りましたが、ブレバタの原曲は今聴いても遜色ありません。
個人的には達郎さんのIT’S A POPPIN’ TIMEに収録されている
ピンクシャドーの方が好きです。
土岐英史(土岐麻子のお父さん)のソプラノサックスや
エンディングの吉田美奈子と伊集加代子のコーラスは必聴ものです。
話は曲ではなくその詩です。
「満月に写し出された僕の姿に、
僕と月と僕らの関係のなぞかけ言葉を考えていた。
君はピンクのチョークを踊らせながら僕の影を塗りつぶした」
という詩なわけですが、「僕と月」とおそらく彼女の関係は、
天体の「月と地球と太陽」に置き換えた比喩だと思われます。
この詩のキーである「なぞかけ言葉」は多分、
それを月と地球の微妙な関係を
例えたのではないかと推察できそうです。
その言葉から想像すると月が彼女で、僕が地球で
太陽は必然的客体性に基づいた絶対的存在ではないかと思います。
さて、太陽は太陽系の恒星で地球はその惑星になり、
月は地球の惑星というわけでやはり太陽は2つの星にとって
絶対である事に間違いありません。
地球は約24時間(1日)かけて自分自身で回りながら(自転)
太陽の周りを1年で回ります。(公転)
このブログでも秋分や夏至などで取り上げさせていただきましたように
地球は1日1回転しながら
黄道という「太陽の周りにある道」のようなもの
を1年かけて回っているわけです。
地球の惑星である月は、
約30日(1ヶ月なので1年12ヶ月になる)自分で回りながら(自転)
地球の周りを1ヶ月かけて回っています。(公転)
このため地球からは表面である
「月のうさぎ」しか見えず、月の裏側が見えません。
これは月の公転と自転の速度が一致しているからです。
1ヶ月で自転しながら1ヶ月で地球を回るので
地球からは一面しか見えません。
解りやすくご説明させていただきますと、
例えばビールやコーヒーの缶があります。
無ければグラスでもワインのボトルでも構いません。
直径20CMの円を書きます。
ビール缶のラベルを常に中心に向けながら円の上を滑らせると
自然に缶が周り始め1周すると缶も1周します。
中心が地球の位置で缶が月になります。
中心からは常にラベルが見えたままです。
このラベルが「月のうさぎ」というわけです。
1周が1ヶ月なので即ち缶も1ヶ月で1回転したといことになります。
話逸れますが、渋谷系の代表でもあるオリジナルラブの楽曲
「月の裏で会いましょう」にある「見知らぬ場所であなたに会いたい」
の一節は月の裏で会えば誰にも邪魔されないという意味になります。
月の明かりは太陽に照らされた光りです。
太陽と月と地球が180度になり「地球、月、太陽」の順番で並ぶと
太陽の光が月の裏に当たるため光りません。
これを新月といい三日月から90度の時を上弦の月、
さらに90度進み「月、地球、太陽」と180度に並ぶと
太陽の光が月に当たり満月となるわけです。
この時、角度があるため地球は太陽の光を遮りません。
そしてさらに90度進み半分欠けた月を下弦の月と言います。
この満ち欠けを繰り返すわけでこれを月齢と呼びます。
さてこれをピンクシャドーで考えると、
地球の惑星である月の彼女は「ただ地球にくっ付いているだけで
カレンダーの役割しかできない上に、
「自分の裏側を隠し続ける女」のようですが
実は月にも凄い力があります。
それは引力です。
月の引力は地球に対して太陽の2.2倍もあります。
海で潮位が高くなる時を満潮といいますが、
これは月が真上に来た時にその引力が最大になり
海面を引っ張るからです。
一方、地球の裏側に月が来るとその引力が及ばないため
地球の遠心力で海面が外側に向かいます。
つまり満潮は月に対し表と裏で同時に起こるというわけです。
一方90度と270度、先程の「満潮時の月の位置」を縦180度すると
横の時は海面が満潮方向に引っ張られるため潮位が下がります。
これを潮が引く干潮という事になるわけです。
潮干狩りはこの時に行われます。
話は満月に戻ります。
月は満月と新月の時、その引力が最大になります。
これを大潮と呼び干満の差が最大になります。
一方、上弦、下弦はその力が及ばないために
小潮と呼ばれ干満の差が小さくなります。
潮干狩りには大潮の干潮時が最適というわけです。
月は勿論、人間にも作用します。
月の引力により血液や体液が引っ張られ活性化すると言われています。
満月に出生率が高いのも(人間だけではありません)
殺人事件が多いのもこの理由によるとも言われています。
また血液循環が良くなるためアルコールが周りやすくなります。
「月見で一杯」には理由があるのかもしれません。
大潮は、血液循環が良くなるため神経が高ぶります。
上司にはなるべく触らない方が無難です。
大潮の時の「上司との飲み」は避けたほうがいいかもしれません。
言いたい事があるなら引力が弱い上弦か下弦の小潮の時に
思い切ってぶつけてみましょう。
(危険なので実験しないで下さい。僕は怖くて未だ実証できません)


さて話を詩に戻すと「カレンダー代わりのまとわりついて、
自分の裏側を見せない月は実は地球に物凄い影響力があった」
と言うことになるのです。
そして地球は月の裏側を一生見ることは出来ません。
地球は月を衛星として支配し、
月は「地球なしでは生きていけない」と言っているようですが、
実は「地球は精神的に月に支配されている」のです。
だんだん難しくなってきました。
詩に戻って何故、彼女は
「僕の影をピンクのチョークで塗りつぶしてしまう」のでしょうか。
たしかにピンクで塗りつぶされた影は、ピンクシャドーになりますが。
表側だけで光る月に照らされた影を
すっかり塗りつぶされた僕は全てを支配されてしまうのでしょうか。

月と地球の関係は永遠のものではありません。
実は、月は地球から年間3.8CMずつ離れているのです。

3.8CMずつ小さくなる地球に月の大きさを知る由もありません。
いつもそばにいて輝き、
おそらく月も同じ気持ちだと確信していました。
月は表面で表情を造り、裏側を地球に決して見せませんでした。
裏を隠す方が今の関係を維持できると考えたからです。
「月の裏側なんか知らなくてもいい。
知りたくもない。今のままでいい。」
と地球は思っていました。
それでも地球の知らない間に月との距離は刻々と開いていくのです。
そしてある日、突然月が離れていきます。
地球は引力で呼び戻そうとしてもムリでした。
引力の無さに「何故!」と思った時、
地球は「こんなに離れてたんだ」と
自分と月との距離に初めて気がつくのです。
地球には「満潮も干潮も12ヶ月も」もうありません。
地球の引力の及ばなくなった月は速度を早め回転しながら離れて、
すぐに星屑のひとつになってしまいました。
初めて地球に裏側を見せながら。

このまま終わると悲しくなりそうなので、
最後に皆既月食の話をします。
満月になる仕組みで考えると
「月、地球、太陽」と180度に並ぶわけですが、
通常は月と地球の角度が太陽に対して微妙にずれているので
月は太陽の光を受けることができます。
この180度のラインにピッタリと3つが並ぶと太陽の光を地球が遮って
皆既月食となるわけです。

(超低感度カメラで撮影。月に向かって空しく赤目が光りました)
月の光に
2011.12.16-1.jpg












地球が
2011.12.16-2.jpg 少しずつ
2011.12.16-3.jpg












影を作っていきました。
2011.12.16-4.jpg 僅かに残る光の横のシルエットは
2011.12.16-5.jpg












やがてオレンジに染まり、
2011.12.16-6.jpg 夜空に浮かび、また光を取り戻していきました。

次回の皆既月食は2014年10月8日、午後8時頃です。
  1. 2011/12/16(金) 03:02:02|
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2011年12年9日 NOCE仙台店 2011年 3

今週は冬本番といった寒い日が続きました。
とくに昨日、今日と冷たい雨が降っています。
東京も多摩地区では「みぞれ混じり」の雨だそうです。
明日の晩は皆既月食が見られる日です。
夜11時31分がピークとなり満月が幻想的なオレンジに
ぼんやりと変わります。
当然、僕は満月にシャンパンを捧げる予定です。
週末のお天気ですがNOCEのある地域では冬型の気圧配置となるため
新潟と札幌は曇りや雪になるそうですが、他の地域はまずまずとなりそうで
皆既月食もこの地域では望めそうです。
街の街路樹もすっかり色がつきました。
少し寒くなりましたが街歩きはいかがでしょうか。
そしてその際には是非NOCEにお立ち寄り頂ければと
全国スタッフ一同、お客様の御来店をお待ち申し上げております。



(先週からのつづき)
店の前に立つといつもと同じ表情のNOCEがありました。

















店に入ると
1209-002.jpg 他のNOCEと
1209-03.jpg












同じように
1209-04-1.jpg
















1209-04-2.jpg
















商品が
1209-05.jpg
















所狭ましと
1209-06.jpg 並んでいます。
1209-07.jpg
















外に出て建物を見ると
1209-08.jpg












2011年3月11日午後2時46分に発生した
マグニチュード9,0、震度6弱(仙台市青葉区)を記録した
「東日本大震災」の爪あとが壁に残されていました。
甚大な被害をもたらしたこの地震のエネルギーは
関東大震災の45倍、
阪神淡路大震災(1995年)の1450倍に相当すると言われています。
この数字だけでも「いかにその規模が大きかったか」を
想像する事が出来ます。
そしてその後発生した前代未聞の大津波が家や道路、人間、
そしてそこに今まであった当たり前の生活さえも
全て飲み込み消し去りました。
犠牲者は宮城県が最も多く、仙台でも港のある若林区で家屋や車、
モールに津波が襲いかかる映像は今でも脳裏に焼き付けられています。
建物上部の外壁には落下防止のテープが貼られ
1209-09.jpg
















一部は
1209-10.jpg 補修中でした。
1209-11.jpg
















NOCEを後にして
1209-12.jpg












スタッフと食事に行きました。
上司から予算を頂き僕が飲み過ぎた場合、その分は「自腹」です。
仙台店スタッフが予め予約してある国分町の店に向かいました。
ここにもスタンディング系(テーブル席もある)のワインバーがありました。
1209-13.jpg












野菜系のダイニングバーもあります。
1209-14.jpg 復興景気に湧く国分町という言葉をよく聞くのですが、
僕は「?」でした。
そもそも復興は復興で景気は別なものではないかと思っているからです。
復興に景気は関係ありません。
現実この晩も仙台市内のホテルは平日にも関わらず満室で、
僕のホテルでもビジネス系の男性でいっぱいらしく
エレベーターはこれから夜の街に繰り出す「オヤジ」で定員オーバーでした。
狭いエレベーターの個室は当然ドアが閉まると
「あの整髪料とタバコ」のにおいで充満してしまいます。
鼻をつんざくオヤジの香りに息を止めていたのですが
不幸にもエレベーターは「もう乗れない」のに各階停まりです。
ドアが開くたびに「乗れないエレベーター」にため息をつく
オヤジたちがいます。
「息を止めるの限界」で息を思いっきり吸い込み
気分が少し悪くなってしまいました。
当然彼らが向かう先は国分町です。
どんなジャンルの店に行くのかは知りませんが話の内容から想像すると、
やはり一杯やった後は「男の世界」らしいです。
これが「国分町が賑わっている」理由なのでしょうか。
まだ時間が早かったのかもしれませんが、
国分町に10年前の賑やかさはありませんでした。
テナント募集の張り紙も目立ちました。
ただ震災前の「かなり悪かった」頃より
多少よくなっただけのような気がします。
今晩は
1209-15.jpg
















イタリアンです。
1209-16.jpg 仙台といえば「牛タン」ですが、僕がNGなので
気を使ってイタリアンにしてもらいました。
扉を開け
1209-17.jpg
















席に着くと
1209-18.jpg まず樽で用意されたボジョレーを奨められましたが
1209-19.jpg
















ここは丁重にお断りします。
メニューとワインリストから全て僕のチョイスでいかせてもらいました。
1209-20.jpg まずは、スプマンテで乾杯。
1209-21.jpg (イタリアのシャンパン製法で造った発砲性ワイン。
シャンパンのようなもの)

アミューズはカプチーノカップに入った
「小玉ねぎのバルサミコ酢漬け」北イタリアでは前菜の定番。
1209-22.jpg












アンティパスト(前菜)の一皿目は、
自家製ベーコンのツナソース、ケッパー添え。
1209-23.jpg ベーコンと言っても生ハムのようでとても美味でした。
自家製のフォカッチャ(パン)にのせ、ツナソースを付けてスプマンテとやると最高です。
ツナソースはイタリアではもう少し厚いハムで出てきますが、これもアリでした。
2皿目はカプレーゼ。
1209-24.jpg 水牛のモッツァレラチーズにフレッシュトマト、オリーブオイル。
プリモピアット(イタリアでは一皿目という意味で
フレンチではアントレ、英語ではスターター)の
1番目は自家製手打ちパスタのバターとセージであえたもの。
1209-25.jpg












この日のパスタは平打ち麺(きし麺のような形状)
タリアテッレなので「タリアテッレ、アル、ブッテロ」になります。
お店のメニューでは別の名前でした。
2番目はこのタリアテッレをジョノベーゼであえたもの。
ジェノベーゼ(ソース)はジョノバ地方の伝統料理です。
1209-26.jpg バジルにオリーブオイルとパルミジャーノチーズ、
松の実を加えジューサーなどでペースト状にした
グリーンのソースで世界的に使われています。
セコンド(メイン)は牛ホホの赤ワイン煮込みを
マッシュポテトの上にのせたものでした。
1209-27.jpg 全て素晴らしい料理でした。



話は、「3,11の時どうしていたか」から始まりました。
立っていられずお客様とスクラムを組んで耐えたそうです。
「死ぬかと思った」そうです。
地震を予感して重ねた家具を下ろしたスタッフに
「何故予感できたか」を聞いたのですが、
「その前にあった大きな地震があったのでこれは来ると思った」そうで
不思議ではない表情が不思議でした。
あるスタッフの実家の地域が津波にあいました。
実家は高台だったので難を逃れる事ができました。
心配で津波から間もなく実家に帰って見ると
高台から下の漁港の大きな街が何も無くなっていたそうです。
親から「街に行ってはいけない」と言われたそうです。
「まだ処理されていない遺体が多数あり、異臭が漂っている」との事でした。
ニュースの画像しか知らない僕にとってかなりショックな話でした。
いつものように明日がくると思っていた生活が一瞬にして消え
修羅場となってしまったのです。
仙台店の「OG」の家は津波で浸水してしまい
実家に引越しをしたそうです。
仙台郊外にある新興住宅地にあるマンションには亀裂が入り
「引越しを余儀なくされた」親戚をもつスタッフがいます。
東京で乗ったタクシーの東北出身のドライバーさんは
友人と親戚を亡くされたそうです。
仙台では実際に地震とその後に起こった物資不足、
停電などの直接的な事象だけではなく
親戚、友人、知人が受けた被害を通じて何か間接的に関わっている人が
殆どだと痛感しました。
ワインもすっかり空いてお開きです。(ワイン2本自腹) 1209-28.jpg 「3,11以降、生き方、考え方など全てが変わってしまったように思う」
とスタッフ全員が最後に言っていました。
ホテルに戻り神戸のある出来事を思い出していました。
8年位前に神戸のワインバーで1人カウンターで飲んでいた時のことでした。
店内に他のゲストはなくソムリエ兼オーナーが
「震災後ずっと景気が悪くてね」とこぼしていました。
すると僕の気のせいか誰もいないはずの後のテーブルで
カップルの笑い声が聞こえました。
慌てて振り返ると勿論、誰もいません。
店内にはジャズの4ビートがゆるく流れているだけです。
しばらくすると又、聞こえました。
振り返るとやはり誰もいません。
するとソムリエが「わかるんですね」と笑顔で言いました。
「いや、ただ・・・・・」と答えると
ソムリエが
「そこの席は震災前、常連でワインの大好きな若いご夫婦の指定席だったんですよ。
震災後突然いらっしゃらなくなってしまってね。
お客様(僕)のようにワイン好きな方で時々、
聞こえるという方がいらっしゃるんですよ。
「そういえば、お客様のご注文のワインもそのご夫婦の定番でした」と。
僕はその話を聞いて別に恐怖は感じませんでした。
ソムリエとその後震災の話をしていると
女性が1人来店しカウンターに座りました。
ソムリエが「震災で火事がひどかった」という話をしていると
その女性が突然、声をあげて泣き始めてしまいました。
「地震の話やめて!」でした。
僕は悪い事をしたという気持ちでいっぱいになりすぐに店を出ました。
震災後8年、東京に住む僕は、あの震災は過去のものになっていて
「言われれば思い出す」くらいでした。
そのワインバーに2年後訪れるとワインバーは建物ごと取り壊され
思い出とともに出来事も本当に過去の世界へ行ってしまいました。
何もなくなった土地にはコスモスが咲き
少し涼しくなった風に揺られていました。
僕が3,11を仙台のスタッフと少しでも共有出来たのは
NOCEが仙台にあっただけではありません。
3,11の後、「いつ原発が大爆発を起こして
大量の放射能が東京に降りパニックで大混乱して
逃げる事も出来なくなるかもしれない。
大きな余震が関東近辺で発生するかもしれない。」
という恐怖を体験したからです。
西に逃げた知人、日本に来なくなった外人、TVから一般CMが消え、
マスクをしている人が増え、街は暗くなりました。
原発でごく少量の放射能が漏れただけでも一大ニュースだったにもかかわらず、
次々と爆発する原発の映像が当たり前のようにTV画面に映され、
シーベルト、ベクレルという専門用語さえ日常用語になりました。
あれからこの11日でちょうど9ヶ月です。
1年も経っていません。
「粉ミルクから放射性物質が検出」されても驚かなくなりました。
ガイガーカウンターの割引が始まりました。
街には人が溢れ明るくなりました。
東北大震災の募金活動も見なくなりました。
誰でも恐怖は嫌なものです。
忘れてしまった方が楽に生きる事ができます。
僕もこのブログを書くまであの恐怖のことを忘れていたような気がしました。
先日、外国のサプライヤーから放射能が理由で来日できないという連絡があり、
「NOCE福岡店はだいじょうぶか」とメールがありました。
福島と間違えているわけですが
「この位の知識で来日止めるなら一生来なくていい」と思います。
ただ冷静になって考えると
「踏まれた足の痛さは踏まれた人にしか解らない」と感じました。
津波で流された被災地はまだ瓦礫さえ撤去されていない地域が
多数あるそうです。
恐怖や悲しみで心に傷を負った人たちが東京でさえ大勢います。
僕に何か出来ないのかと
帰ってきた仙台のホテルで布団に包まって考えてみました。
それは「あの恐怖体験を忘れない事」ではないかと思いました。
そうすれば僅かでも痛みを共有できるかもしれないからです。
「放射能が降ってくるかもしれない」はある意味、
「爆弾が降ってくるかもしれない」と同じ恐怖体験です。
当時、外国から「なぜ東京に居られるのか?」と質問を受けましたが、
世界から見れば「東京に居る」方が非常識だったのです。
「東京から離れられない」旨を言うと「気の毒」だと同情されました。
忘れないと言う行為は、一見簡単にみえますが
寄付やボランティアと違って目に見えない分だけ簡単ではありません。
スマトラ沖、ハイチ、四川の大地震、ハリケーンなどの自然災害、
戦争、飢饉など世界では人的災害が起こっていますが、
案外忘れてしまうものです。
先日も「ハイチの募金」が国際線の機内でありましたが、
ハイチが大地震なのか洪水か飢饉なのか忘れていました。
今年の夏の事です。
千葉の海で泳いで海岸に上がると僕の手に大量の毛髪が絡んでいました。
長い茶色の髪の毛でした。
恐怖のあまり足が震えてしまい、手から慌てて取り払いました。
何時、何処で付いたのか、また誰の物なのか解りませんが
落ち着いて考えた後、夢中で海に向かって合掌していました。
それでもあの時、震災とリンクしている可能性すら思いつきませんでした。
暫くするとホテルの部屋の外でオヤジたちが酔っ払いながら大きな声で
「あの女はよかった、この女はどうだった」とか話しながら
部屋のドアを閉める音と共に消えていきました。
翌朝、5時半に目覚め7時にチェックアウトし駅に向かいました。
ケヤキはこの冬も変わらずに色付いていきました。
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今日も仙台の一日が始まっていきます。
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朝日のあたる仙台駅から出てくる制服姿の学生の波に向かって歩き、
「こまち」東京行きに乗車し10時にはいつものようにデスクに着き
海外にメールを送信していました。
  1. 2011/12/09(金) 03:24:22|
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2011年12月2日 NOCE仙台店 2011年 2

昨日から12月に入り今年も残すところ1ヶ月を切りました。
今週は冬を感じさせる風が吹く日もあり、
今朝はこの冬一番の冷え込みでした。
5時半に目覚めると窓一面くもっていました。
仙台では「SENDAI光のページェント」の点灯式が定禅寺通りで、
今日行われます。
週末のお天気ですがNOCEのある地域で、
土曜日はあいにく雨やくもり、札幌は雪とあまり恵まれませんが、
日曜日は新潟と札幌(吹雪)を除き晴れそうです。
又、先週に引続き気温が高めなのでお出掛け日和になりそうです。
その際には是非NOCEにお立ち寄りいただければと
全国スタッフ一同お客様のご来店をお待ち申し上げております。



(先週からのつづき)

ホテルでチェックインを済ませ歩き始めると、
仙台の街はクリスマスの準備を始めていました。
仙台と言えば何を思い浮かべるでしょうか。
堅いところで
「宮城県の県庁所在地、東北1の大都市で政令指定都市、
青葉城、広瀬川、七夕」から
「牛タン、笹かまぼこ、カキ、萩の月(微妙)」までと
際どいところで「レゲエパンチ、白松が最中」は、
僕が思いついた所で一般的に知られているものを並べてみました。
意外なところで夏の食べ物「冷やし中華」、
居酒屋の形態である「炉端焼き」
(僕は北海道が発祥地だと思っていました)など、
全国的に一般化されているものですが、実は仙台が起源でした。
インテリア関係では何といっても「仙台箪笥」が有名です。
仙台市は東京と青森のほぼ中央に位置し、人口103万の大都市で、
街にはケヤキを中心に緑が多く「杜の都」とも呼ばれています。
街路樹は春には新緑、冬はイルミネーションに輝きます。
(今年は、今日から12月31日まで定禅寺通りで
「SENDAI、光のページェント」として行われます。
特に一斉にライトが消え、再点灯する時間が必見だということなので、
NOCE仙台店にお越しの際には是非です。)

さて仙台の歴史は国分氏が南北朝時代に城の場所に
「虚空蔵千体仏」があったことからその城の名前を
「千代城」と名付けた事に始まり、
後に戦国時代の武将「伊達正宗」が唐の詩の中から引用し
「仙台」となったと言われています。
伊達正宗が立藩した62万石の仙台藩は
明治時代の廃藩置県まで伊達家によって統治されました。
藤原家が本姓の伊達正宗は朝鮮出兵の際、
自分の部隊に派手な戦装束を好んであつらえた事から、
格好をつけたり、洒落者だったりする男を「伊達男」という呼称は
現在でも残っています。
当時、街をこの衣装で凱旋した時に女性達から羨望の声で
「よっ、伊達男!」と呼ばれた事から、
伊達正宗がイケメンだった事までと根拠は様々ですが
「伊達男」のイメージに大差はありません。
ちなみに「伊達メガネ」や伊達正宗が好物だったらしい「伊達巻き」は
諸説あるので語源の確実性はもう少しあいまいです。
「おだてる」の意味は使い方によっては合っていますが、
正しくは「煽てる」であって「お伊達る」と言った
伊達の動詞的用法はありません。
僕は「お伊達る」の方が「伊達っぽい」(カッコいい)と思っていますが。
(完璧、自論なので気にしないで下さい)

仙台藩によって建設された城下町であった現在の仙台は、
東北新幹線や東北線の仙台駅の西口から
青葉城(仙台城)に向かうところが商業やオフィスの中心となっています。

簡単に地理をご説明させていただきますと、
まず南北に新幹線があります。
よって西口は青森に向って左になります。
西にある青葉城に向かって駅から主要な4本の通りがあり、
南(下から)から南町通り、青葉通り、広瀬通り、定禅寺通りと呼びます。
太い青葉通りと広瀬通りの間に賑やかなアーケード商店街
(中央通り)があります。
これらの通りを縦とすれば、
南北(東北線に対し平行)に駅側から愛宕上杉通り、
国道4号(大通り)、国分町通り、晩翠通り、西公園通りが横に走り
碁盤の目を形成しています。
街は上から3番目の国分町通りを境に一番町と国分町に分かれ、
一番町はオフィス街や商業地区で
国分町とくに国分町通りの広瀬通りと定禅寺通りの間は
一大歓楽街で飲食店から風俗店までひしめき合っています。
この縦横がわかればもう「仙台通」です。
仙台で迷う事はありません。
先程の「光のページェント」は定禅寺通りで行われるので、
駅からは青葉通りを「駅を背」に歩いて国分町通りの交差点を
右折でOKです。
後述させていただきますが、NOCE仙台店は、青葉通りを直進し
国分町通りを左折し、100M程の所です。


僕はNOCE仙台店に向かって歩き出しました。
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駅から愛宕上杉通りを渡り左折すると
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朝市で有名な「東4青果市場」では
夕市をやっていました。
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年末は正月の買出しで混むそうです。
1202-04.jpg 東京の「アメ横」のようなものでしょうか。
北に向かって進むと南町通りにあたります。
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駅を右に見て横断します。
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更に北に向うと路地沿いの
1202-07.jpg スタンディング系のワインバーを通り過ぎ
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青葉通りを
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渡ると
1202-10.jpg (暗くてわかり難いと思いますがケヤキの街路樹が見事で
夏になると風が葉をゆらしながらサラサラと
広瀬川の涼しい空気を運んできます。)

青葉通りと広瀬通りの真中を通る
アーケード商店街(中央通り)に出ました。
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七夕で賑わうアーケードも
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今はクリスマスに飾られていました。
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アーケードを直進し
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国道4号を渡り
1202-15.jpg ブランドショップのショーウインドを見て
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アーケードの十字路を右折しました。
1202-17.jpg 本来NOCE仙台店は左折なのですが
広瀬通り沿いにある元NOCEのあった場所を見るために右に曲がり
広瀬通りに向かいました。

広瀬通りには晩秋に色付いた銀杏の木があり
1202-18.jpg 路地の
1202-19-1.jpg 1202-19-2.jpg ショットバーのカウンターでは
カクテルグラスがゲストを待っていました。
1202-20.jpg NOCEのあった場所は現在レンタルショップになっています。
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NOCE仙台店は1999年の12月10日にオープンしました。
12年前の事です。
それから現在の国分町通りに移転したのは2006年の1月でした。

広瀬通りを今度はNOCE仙台店のある国分町通りまで戻ります。
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国分町通りを青葉通り方面に歩いていると路地の先に
1202-23.jpg 楽しそうな
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お店(イタリアンと飲み系)がありました。
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国分町通りは少し地味なので
並行するアーケード街を歩く事にしました。
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この辺りは仙台を代表する藤崎百貨店があり、
こだわり系ナショナルブランドショップが並んでいます。
1202-27.jpg 青葉通りを渡り
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アーケードを歩きます。
1202-29.jpg イルミネーションの
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向こうに
1202-31.jpg 「がんばろう東北」という物産市が開催されていました。
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少しすると
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左手に「飲み屋街」のようなものがありました。
1202-34.jpg 下北沢フリークとしてはこういう所があると
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ついつい誘われてしまいます。
1202-36.jpg 壱弐参(いろは)横町と言います。
今日はこれからが本番、引っ掛かるわけにはいきません。
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次回のお楽しみです。
その横町の少し先を右に折れて国分町通りに出ると
NOCE仙台店に着きました。
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ライブビデオが3.11の地震で消えてから初めて見る
実物のNOCEでした。

つづく

この先続けたいところなのですが、
少しテーマが重くなるため簡単に終わらせたくないので
来週にさせていただければと思います。
一週間、結論を考えてみます。

  1. 2011/12/02(金) 04:10:11|
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