NOCEの家具バイヤーズブログ 2011年3月18日

NOCEのバイヤーズブログ

2011年3月18日

まず始めに、
東北地方太平洋沖地震で失われた尊い命にご冥福をお祈り申し上げ、
また被災された方々に心よりお見舞い申しあげます。

先週、僕のブログをアップした直後にあの地震がおきました。
立っていられないほどではありませんでしたがかなり揺れました。
電車は止まり、街は人々の悲鳴に包まれ、棚から物が落ち散乱しました。
やがて、街は移動手段を失った人々で溢れ返りました。
見慣れた下北沢が違う街のようでした。
震源が東北地方とわかり寒気がしました。
「東京でこれだけの揺れがあれば、
東北はどれだけ大きなマグニチュードだったんだろう」と。
NOCE仙台店の本社モニターは、
検品作業中に崩れていく荷物をおさえるスタッフを残し
シャットダウンされました。
一般のテレビの画面には見たこともないような大津波が映っていました。

あれから今日でちょうど一週間がたちました。
被害の状況は、刻々と信じられない事実へと変わっていきました。
翌日、心配していた仙台スタッフとようやく連絡がとれました。
寒いところでお互い毛布にくるまって一晩すごしたそうです。
本当に無事でなによりでした。
そしてなんとその翌日から、店を片付けて
NOCE仙台店は地震から4日後にオープンしました。
(場所は仙台の街の中心、店内の家具も相当数ダメージを受け、
レジもバラバラでした。
上司や役員が「やれ」と命令したわけでは決してありません。)
その後、あまり影響がないと思っていた東京も大変な事になりました。
停電と電車の運休、そして原子力発電所の爆発による放射能の恐怖。
あの金曜日からいつもの生活が変わってしまったのです。
街には灯りも物もなくなりました。
人もいなくなりました。
「いつ放射能が降って来るのだろうか、電車は突然止まらないだろうか、
東京に余震はこないのだろうか、富士山は爆発しないのだろうか。」という
不安の中で毎日生活しなければならなくなったのです。

本来、僕は昨日から5日間の出張で香港、中国に行く予定でしたが
全てキャンセルしました。
この時期、東京から避難する人で満席の飛行機で
「もったいない」という外人もいましたが心配で行けるわけありません。
心配して、数々のメールが各国からきました。
全てのメールにひとつひとつ心をこめて感謝の気持ちと
これからのビジネスについて返事をしました。
電話で「Are you O.K.」と言われるのですがOKのわけありません。
東京の外国人には退去勧告がでています。
すでに東京を捨てた人も数多くいます。
ルフトハンザは成田乗り入れ中止です。
原宿のファーストファッションの店は当分クローズです。
国際電話で「放射能だいじょぶか?」って
どうやって返事すればいいんですか。
初めて「大丈夫?」と聞くことが相手を傷つけてしまうことを知りました。

NOCEは今のところ仙台をはじめ関東、新潟全店舗で
営業時間は限定的ながら営業しております。
これは、この時期でもご来店いただけるお客様がいらっしゃるからです。
もちろん不測の事態が起こればばこの限りではありません。

今、僕はバイヤーではなくモニターを上司から命令されています。
海外メディアの原発に関するニュース、ブログなどのチェック、
そしてNOCEのある街の放射能、気象、交通停電の状況をずっと見ています。
なにか変化があればすぐに上司に報告して
店舗をクローズさせなければならないからです。

こんな時だから見えてくる事もあります。
「下北沢が好きだ」と言って街が壊されていく事に憂慮していた人です。
「ちょっと大阪の実家で用事があってね、しばらく帰れない」ですと。
最後に一杯の時間もないそうです。
駅で東北地方への災害募金をやっていました。
普段どんな時でも「しない」と言っていたのに
「札」を募金箱に入れるのは少し違うと思いつつ
「この人ともう会うこともないだろう」と思って見送りました。
「放射能の下、みんな平等じゃなかったんじゃないの?」と街を歩くと
夜の7時だというのに灯りが消えてほぼ真っ暗でした。
キャンドルナイトという催事で
街の灯りを消してキャンドルで過ごそうという企画です。
それが本物の暗さではなかったということが改めてわかりました。
真っ暗な下北沢。
でも僕はこの方が好きです。
時間がまき戻されていくようです。
バーがろうそくの灯りにオレンジ色に揺れていました。
灯りの中、アコギ1本でライブをやっています。
店に入ると寒さのなかに一杯のシャンパンが染み込んでいきます。
「爆発したらどうする?」と聞かれたので
「これが最後の晩餐になって、
こんな下北沢もあったねと思い出にきざまれるはず」と
ろうそくをその辺の客と分かち合いグラスを捧げました。
帰りにあの「マサコ」のあとに建築中のビルの横を通りました。
多分、この商業複合ビルが完成すれば
街を呑み込んでしまうかもしれないビルです。
綺麗な飲食店も多数高層階に入り
この辺の飲食店も減ってしまうのではないかと心配していました。
多分、ここのオーナーは外国人のファンドのはずです。
「早く母国に帰ってこのビル手放して困っている被災者の方々に開放しろ。」
と叫びました。
そうすれば「マサコ」の恨みもはらされるはずです。(少し違うか)

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  1. 2011/03/18(金) 04:49:29|
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