NOCEの家具バイヤーズブログ 2011年12年9日 NOCE仙台店 2011年 3

NOCEのバイヤーズブログ

2011年12年9日 NOCE仙台店 2011年 3

今週は冬本番といった寒い日が続きました。
とくに昨日、今日と冷たい雨が降っています。
東京も多摩地区では「みぞれ混じり」の雨だそうです。
明日の晩は皆既月食が見られる日です。
夜11時31分がピークとなり満月が幻想的なオレンジに
ぼんやりと変わります。
当然、僕は満月にシャンパンを捧げる予定です。
週末のお天気ですがNOCEのある地域では冬型の気圧配置となるため
新潟と札幌は曇りや雪になるそうですが、他の地域はまずまずとなりそうで
皆既月食もこの地域では望めそうです。
街の街路樹もすっかり色がつきました。
少し寒くなりましたが街歩きはいかがでしょうか。
そしてその際には是非NOCEにお立ち寄り頂ければと
全国スタッフ一同、お客様の御来店をお待ち申し上げております。



(先週からのつづき)
店の前に立つといつもと同じ表情のNOCEがありました。

















店に入ると
1209-002.jpg 他のNOCEと
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同じように
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商品が
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所狭ましと
1209-06.jpg 並んでいます。
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外に出て建物を見ると
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2011年3月11日午後2時46分に発生した
マグニチュード9,0、震度6弱(仙台市青葉区)を記録した
「東日本大震災」の爪あとが壁に残されていました。
甚大な被害をもたらしたこの地震のエネルギーは
関東大震災の45倍、
阪神淡路大震災(1995年)の1450倍に相当すると言われています。
この数字だけでも「いかにその規模が大きかったか」を
想像する事が出来ます。
そしてその後発生した前代未聞の大津波が家や道路、人間、
そしてそこに今まであった当たり前の生活さえも
全て飲み込み消し去りました。
犠牲者は宮城県が最も多く、仙台でも港のある若林区で家屋や車、
モールに津波が襲いかかる映像は今でも脳裏に焼き付けられています。
建物上部の外壁には落下防止のテープが貼られ
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一部は
1209-10.jpg 補修中でした。
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NOCEを後にして
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スタッフと食事に行きました。
上司から予算を頂き僕が飲み過ぎた場合、その分は「自腹」です。
仙台店スタッフが予め予約してある国分町の店に向かいました。
ここにもスタンディング系(テーブル席もある)のワインバーがありました。
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野菜系のダイニングバーもあります。
1209-14.jpg 復興景気に湧く国分町という言葉をよく聞くのですが、
僕は「?」でした。
そもそも復興は復興で景気は別なものではないかと思っているからです。
復興に景気は関係ありません。
現実この晩も仙台市内のホテルは平日にも関わらず満室で、
僕のホテルでもビジネス系の男性でいっぱいらしく
エレベーターはこれから夜の街に繰り出す「オヤジ」で定員オーバーでした。
狭いエレベーターの個室は当然ドアが閉まると
「あの整髪料とタバコ」のにおいで充満してしまいます。
鼻をつんざくオヤジの香りに息を止めていたのですが
不幸にもエレベーターは「もう乗れない」のに各階停まりです。
ドアが開くたびに「乗れないエレベーター」にため息をつく
オヤジたちがいます。
「息を止めるの限界」で息を思いっきり吸い込み
気分が少し悪くなってしまいました。
当然彼らが向かう先は国分町です。
どんなジャンルの店に行くのかは知りませんが話の内容から想像すると、
やはり一杯やった後は「男の世界」らしいです。
これが「国分町が賑わっている」理由なのでしょうか。
まだ時間が早かったのかもしれませんが、
国分町に10年前の賑やかさはありませんでした。
テナント募集の張り紙も目立ちました。
ただ震災前の「かなり悪かった」頃より
多少よくなっただけのような気がします。
今晩は
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イタリアンです。
1209-16.jpg 仙台といえば「牛タン」ですが、僕がNGなので
気を使ってイタリアンにしてもらいました。
扉を開け
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席に着くと
1209-18.jpg まず樽で用意されたボジョレーを奨められましたが
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ここは丁重にお断りします。
メニューとワインリストから全て僕のチョイスでいかせてもらいました。
1209-20.jpg まずは、スプマンテで乾杯。
1209-21.jpg (イタリアのシャンパン製法で造った発砲性ワイン。
シャンパンのようなもの)

アミューズはカプチーノカップに入った
「小玉ねぎのバルサミコ酢漬け」北イタリアでは前菜の定番。
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アンティパスト(前菜)の一皿目は、
自家製ベーコンのツナソース、ケッパー添え。
1209-23.jpg ベーコンと言っても生ハムのようでとても美味でした。
自家製のフォカッチャ(パン)にのせ、ツナソースを付けてスプマンテとやると最高です。
ツナソースはイタリアではもう少し厚いハムで出てきますが、これもアリでした。
2皿目はカプレーゼ。
1209-24.jpg 水牛のモッツァレラチーズにフレッシュトマト、オリーブオイル。
プリモピアット(イタリアでは一皿目という意味で
フレンチではアントレ、英語ではスターター)の
1番目は自家製手打ちパスタのバターとセージであえたもの。
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この日のパスタは平打ち麺(きし麺のような形状)
タリアテッレなので「タリアテッレ、アル、ブッテロ」になります。
お店のメニューでは別の名前でした。
2番目はこのタリアテッレをジョノベーゼであえたもの。
ジェノベーゼ(ソース)はジョノバ地方の伝統料理です。
1209-26.jpg バジルにオリーブオイルとパルミジャーノチーズ、
松の実を加えジューサーなどでペースト状にした
グリーンのソースで世界的に使われています。
セコンド(メイン)は牛ホホの赤ワイン煮込みを
マッシュポテトの上にのせたものでした。
1209-27.jpg 全て素晴らしい料理でした。



話は、「3,11の時どうしていたか」から始まりました。
立っていられずお客様とスクラムを組んで耐えたそうです。
「死ぬかと思った」そうです。
地震を予感して重ねた家具を下ろしたスタッフに
「何故予感できたか」を聞いたのですが、
「その前にあった大きな地震があったのでこれは来ると思った」そうで
不思議ではない表情が不思議でした。
あるスタッフの実家の地域が津波にあいました。
実家は高台だったので難を逃れる事ができました。
心配で津波から間もなく実家に帰って見ると
高台から下の漁港の大きな街が何も無くなっていたそうです。
親から「街に行ってはいけない」と言われたそうです。
「まだ処理されていない遺体が多数あり、異臭が漂っている」との事でした。
ニュースの画像しか知らない僕にとってかなりショックな話でした。
いつものように明日がくると思っていた生活が一瞬にして消え
修羅場となってしまったのです。
仙台店の「OG」の家は津波で浸水してしまい
実家に引越しをしたそうです。
仙台郊外にある新興住宅地にあるマンションには亀裂が入り
「引越しを余儀なくされた」親戚をもつスタッフがいます。
東京で乗ったタクシーの東北出身のドライバーさんは
友人と親戚を亡くされたそうです。
仙台では実際に地震とその後に起こった物資不足、
停電などの直接的な事象だけではなく
親戚、友人、知人が受けた被害を通じて何か間接的に関わっている人が
殆どだと痛感しました。
ワインもすっかり空いてお開きです。(ワイン2本自腹) 1209-28.jpg 「3,11以降、生き方、考え方など全てが変わってしまったように思う」
とスタッフ全員が最後に言っていました。
ホテルに戻り神戸のある出来事を思い出していました。
8年位前に神戸のワインバーで1人カウンターで飲んでいた時のことでした。
店内に他のゲストはなくソムリエ兼オーナーが
「震災後ずっと景気が悪くてね」とこぼしていました。
すると僕の気のせいか誰もいないはずの後のテーブルで
カップルの笑い声が聞こえました。
慌てて振り返ると勿論、誰もいません。
店内にはジャズの4ビートがゆるく流れているだけです。
しばらくすると又、聞こえました。
振り返るとやはり誰もいません。
するとソムリエが「わかるんですね」と笑顔で言いました。
「いや、ただ・・・・・」と答えると
ソムリエが
「そこの席は震災前、常連でワインの大好きな若いご夫婦の指定席だったんですよ。
震災後突然いらっしゃらなくなってしまってね。
お客様(僕)のようにワイン好きな方で時々、
聞こえるという方がいらっしゃるんですよ。
「そういえば、お客様のご注文のワインもそのご夫婦の定番でした」と。
僕はその話を聞いて別に恐怖は感じませんでした。
ソムリエとその後震災の話をしていると
女性が1人来店しカウンターに座りました。
ソムリエが「震災で火事がひどかった」という話をしていると
その女性が突然、声をあげて泣き始めてしまいました。
「地震の話やめて!」でした。
僕は悪い事をしたという気持ちでいっぱいになりすぐに店を出ました。
震災後8年、東京に住む僕は、あの震災は過去のものになっていて
「言われれば思い出す」くらいでした。
そのワインバーに2年後訪れるとワインバーは建物ごと取り壊され
思い出とともに出来事も本当に過去の世界へ行ってしまいました。
何もなくなった土地にはコスモスが咲き
少し涼しくなった風に揺られていました。
僕が3,11を仙台のスタッフと少しでも共有出来たのは
NOCEが仙台にあっただけではありません。
3,11の後、「いつ原発が大爆発を起こして
大量の放射能が東京に降りパニックで大混乱して
逃げる事も出来なくなるかもしれない。
大きな余震が関東近辺で発生するかもしれない。」
という恐怖を体験したからです。
西に逃げた知人、日本に来なくなった外人、TVから一般CMが消え、
マスクをしている人が増え、街は暗くなりました。
原発でごく少量の放射能が漏れただけでも一大ニュースだったにもかかわらず、
次々と爆発する原発の映像が当たり前のようにTV画面に映され、
シーベルト、ベクレルという専門用語さえ日常用語になりました。
あれからこの11日でちょうど9ヶ月です。
1年も経っていません。
「粉ミルクから放射性物質が検出」されても驚かなくなりました。
ガイガーカウンターの割引が始まりました。
街には人が溢れ明るくなりました。
東北大震災の募金活動も見なくなりました。
誰でも恐怖は嫌なものです。
忘れてしまった方が楽に生きる事ができます。
僕もこのブログを書くまであの恐怖のことを忘れていたような気がしました。
先日、外国のサプライヤーから放射能が理由で来日できないという連絡があり、
「NOCE福岡店はだいじょうぶか」とメールがありました。
福島と間違えているわけですが
「この位の知識で来日止めるなら一生来なくていい」と思います。
ただ冷静になって考えると
「踏まれた足の痛さは踏まれた人にしか解らない」と感じました。
津波で流された被災地はまだ瓦礫さえ撤去されていない地域が
多数あるそうです。
恐怖や悲しみで心に傷を負った人たちが東京でさえ大勢います。
僕に何か出来ないのかと
帰ってきた仙台のホテルで布団に包まって考えてみました。
それは「あの恐怖体験を忘れない事」ではないかと思いました。
そうすれば僅かでも痛みを共有できるかもしれないからです。
「放射能が降ってくるかもしれない」はある意味、
「爆弾が降ってくるかもしれない」と同じ恐怖体験です。
当時、外国から「なぜ東京に居られるのか?」と質問を受けましたが、
世界から見れば「東京に居る」方が非常識だったのです。
「東京から離れられない」旨を言うと「気の毒」だと同情されました。
忘れないと言う行為は、一見簡単にみえますが
寄付やボランティアと違って目に見えない分だけ簡単ではありません。
スマトラ沖、ハイチ、四川の大地震、ハリケーンなどの自然災害、
戦争、飢饉など世界では人的災害が起こっていますが、
案外忘れてしまうものです。
先日も「ハイチの募金」が国際線の機内でありましたが、
ハイチが大地震なのか洪水か飢饉なのか忘れていました。
今年の夏の事です。
千葉の海で泳いで海岸に上がると僕の手に大量の毛髪が絡んでいました。
長い茶色の髪の毛でした。
恐怖のあまり足が震えてしまい、手から慌てて取り払いました。
何時、何処で付いたのか、また誰の物なのか解りませんが
落ち着いて考えた後、夢中で海に向かって合掌していました。
それでもあの時、震災とリンクしている可能性すら思いつきませんでした。
暫くするとホテルの部屋の外でオヤジたちが酔っ払いながら大きな声で
「あの女はよかった、この女はどうだった」とか話しながら
部屋のドアを閉める音と共に消えていきました。
翌朝、5時半に目覚め7時にチェックアウトし駅に向かいました。
ケヤキはこの冬も変わらずに色付いていきました。
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今日も仙台の一日が始まっていきます。
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朝日のあたる仙台駅から出てくる制服姿の学生の波に向かって歩き、
「こまち」東京行きに乗車し10時にはいつものようにデスクに着き
海外にメールを送信していました。
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  1. 2011/12/09(金) 03:24:22|
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