NOCEの家具バイヤーズブログ 2012年7月27日 おけら PART 2

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2012年7月27日 おけら PART 2

今週初めは涼しい日があり「このまま冷夏?」と思っていたら水曜日くらいから夏本番になってしまいました。
全国でも猛暑日が続き、熱中症で死に至るケースも多発しています。
暑い日はできるだけ水分を多く摂るようにして直射日光は避けましょう。
ところでセミの声まだ聞いていませんが、オリンピックって盛り上がっているんですか?
景気の影響でスポンサーが減少しているというより、ギリシャ、スペイン問題に揺れるヨーロッパで「オリンピックと言われてもね」と言うのがヨーロッパの人達の本音のようです。
イギリスは昨日の発表で統計以来の低い伸び率で「2番底を記録するだろう。オリンピック効果ももって1年」とBBCが伝えていました。
僕は、世界情勢での心配事はなんと言っても「干ばつによる食料不足」です。
最大の産地アメリカの記録的凶作で家畜の飼料である穀物が不足すると豚肉や牛肉の価格高騰に直結します。
また北京の記録的大洪水で家畜が相当数被害にあっていると聞きましたが、これも微妙に影響しそうです。

話変わって、週末のお天気ですがNOCEのある全地域で夏らしく晴れるそうです。
夏のお出かけには絶好ですが、とにかく水分補給には気を使いましょう。
そしてその際には是非NOCEにお立ち寄りいただければとお客様の御来店を全国スタッフ一同心よりお待ち申し上げております。

今週の新商品のご紹介は、先週に引続きTON社による北欧系ミッドセンチュリーの影響を受けたアームチェアです。
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デザイナーはTOM KELLEY(以下トム)で2009年のリリースで、BRUXELLSという名前が付いています。(ブリュッセルは、ベルギーの首都の名前)
トムは、旧東ドイツで生まれで、2年半の投獄(東ドイツにあるシュタージ刑務所。シュタージとは秘密警察の事。主に政治犯が投獄された)の後、70年に西ドイツに渡り、更にカルフォルニアのロングビーチなどでデザインの勉強をしました。
そして90年後半にイタリアのヴェネチアに住みます。
当時、この地方は世界のチェアの70%を生産すると言われたイタリア家具の全盛期で、彼は多くのクライアントのデザインを手がけるようになりました。
その後、クライアントはドイツ、チェコ、アメリカ、日本、インドネシアなどに及び、その経験が更に彼のデザイナーとしての眼を鋭くしていきました。
どのような厳しい仕事でもこなす能力は、東ドイツ時代の経験に起因しているのではないかと語っています。
現在は、家具だけではなく様々なデザインを手がけるマルチデザイナーとして活躍しています。
今回ご紹介するチェアは、トムの得意とするスクエアなイタリア系ではなく曲線を強調したスカンディナビアンです。
トムは、TONのチェアを数本デザインしていますがこのチェアが最も曲木の特性を活かした美しいデザインだと思います。
特にアームレストと一体化した前脚とその頂点から伸びる後脚とのコンビネーションは正に絶妙といえます。
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アームレストの「くぼみ」はデザインだけではなくコンフォートにも寄与しています。
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アームの色は、トムの表現したいモダンではなくウォルナットを使いミッドセンチュリー路線を強調させ、ファブリックのライトグレーともうまく協調しています。
インテリアはカフェ系、ナチュラル系、レトロ系が主流ですが、このチェア自体の主張が強いのでお部屋のアクセントとして考えればなんでもOKかも知れません。
価格は、36,800円と高めですが、座った時に頭まで受け止めてくれるヘッドレストと座り心地、そしてデザインと存在感を考えれば決して高くないと思います。

アームチェア947
¥36,800
幅57×奥行82×高さ102(44)㎝
Made in Czech Republic

このチェアに身を預けるとあたりは、コーヒーとバタークッキーの焦げる香りが漂い、遅い夏の午後にはセミの声と遠い雷鳴、かすかな雨のにおいに包まれていきました。

座り心地と雰囲気を是非NOCE各店でお確かめいただければと思います。





先週、下北沢に鳴き声を地中から響かせていた「おけら」とは一体どのような生物なのかを書かせていただきました。
僕が初めて「おけら」を見たのは小学校の低学年の頃だったかと思います。
当時、父親の勤める会社の社宅に住んでしました。
3階建ての団地のような建物と2階建ての建物があり、子供用にぶらんこ、鉄棒、雲悌(うんてい)そして少し大き目な砂場があり、大人用のテニスコートが1面ありました。
小学校低学年の僕は、毎日学校が終わると一目散に帰りランドセルを玄関に放置したまま敷地内にある広場に向かいます。
母親が働いていた関係で家には誰もいないため少し寂しさもありましたが、「勉強しろ」とも言われず気楽でした。
広場に向かうと同じ社宅内に住む小学生が7、8人集まってきます。
リーダーは高学年の最年長者で、まだ低学年の僕にとってまるで大人のように感じられました。
彼は「隊長」と呼ばれその日の遊びの決定権を持っています。
遊びの終了の合図は、6時に鳴るチャイムか、日が暮れると自動的に点灯する街灯で、この「チャイムの響き」か「街灯の灯り」が楽しい時間との区切りでした。
夏は日が長いのでチャイムの6時頃、冬は5時位の街灯と帰宅時間で季節を感じる事が出来ました。
そう言えば「これを過ぎて10分以内に帰宅しないと家に入れてもらえない」というのが僕の家のルールでした。
遊びは、ボールを使ったものが多く、次にカン蹴り、雲悌を使った鬼ごっこ(この翌日は腕が痛くて何もできません)そしてたまに砂場です。
砂場では、僕の小さなシャベルで作る山とは違い、隊長が作る大人用のスコップで作る山はとても大きく僕の身長くらいありました。
初夏のある日、何時ものようにランドセルを玄関に置き広場に集合すると「今日は砂場」だそうです。
僕は、あまり砂場は好きじゃありません。
大きなスコップが使えないので「小さなシャベルでトンネル掘る」事くらいしかできないからです。
ザクッ、ザクッと大きなスコップで大きな山が出来上がっていきます。
すると「掘っていく砂」の中から大量の見た事もない奇妙な虫が出てきたのです。
それは「おけら」でした。
1匹拾い上げ手のひらにのせて軽く握ると指と指の間の隙間から逃げようと顔を出します。
そこで止めると「おけら」は軽く握ったこぶしの隙間から顔を出し「万歳のポーズ」になるわけです。
僕の手にひらは小さく1匹が限度でしたが、大きな手なら上手くすると3つの指の間から3匹が顔を出し「万歳」します。
これを見てみんな大笑いですが、僕はなんだかかわいそうで笑えませんでした。
掘り出された「おけら」達はさんざん遊ばれた後、バケツに集められます。
大きな山が完成すると頂上から道を4本くらい作ります。
らせんで降りる道の途中にトンネルもあります。
道が完成するとバケツの「おけら」が登場します。
バケツを頂上で逆さにすると「おけら」は一斉に頂上から下にめがけレースが始まりますが、既に指の間から必死に逃げようとして力を落としているため元気がありません。
僕は、隊長に「もうやめよう」と言ったのですが聞いてもらえず、「おけら」は再度バケツに集められ今度は頂上から水と一緒に落とされます。
子供は残酷です。
水責めに遭った「おけら」の末路はここでは言えません。
掘り出された時から運命は決まっていました。
1度掘り出されたら2度と「おけら」の家族が土の中で仲良く暮らすことなど出来ないのです。
絶命した「おけら」を今度は「どろダンゴ」に詰めます。
30個くらい出来た所で、みんなは今度「おけらダンゴ」を作るためだけに「おけら」を掘り出し捕まえては絶命させダンゴを作り始めたのです。
僕は、見ているのも嫌で泣きたくなりましたが、ここで逆らえば「明日から仲間に入れてもらえなくなる」ので必死にこらえました。
ここで「やめさせる名案」を思いついたのです。
「僕たちの社宅の前にある{別の会社の社宅}の少年たちに宣戦布告してダンゴ戦争はどうか」と隊長に申し出ました。
すると隊長がすぐ「前の社宅の少年達」に話しをつけ、10分後に戦闘開始となったのです。
この10分間に多くのダンゴを作るわけですが、「おけら」を入れて作る余裕はありません。
さて「何故戦闘?」ですが、子供にも「なわばり」があります。
別に敵対する理由もないのですが、前にある社宅の子供達は敵でした。
相手の人数は社宅が大きい分だけ倍は居ます。
こちらは船会社、相手は大手鉄鋼メーカーなので本来なら船会社のクライアントですが、子供の世界では関係なしです。
前の社宅の子供たち、「なんかみんなカッコつけ」てます。
そして多勢に無勢、僕たちはいつも負けてばかりです。
「おけら」の件が無ければ僕から進んで「やろう」とは絶対言い出しません。
勝ち負けは、「どちらが大きなダメージを受けたか」特に「泣かされた人数」で決まります。
終了時間は6時のチャイムですが大体こちらが数人泣いて終了です。
その中には、たいてい僕も含まれていました。
最年少の僕は「どろダンゴが上手く投げられない」ので当然、突撃部隊で「標的」になります。
そして僕が標的になっている間に隊長以下遠投部隊が敵にダンゴをぶつけるわけです。
「どろのダンゴ」とは言え、頭に命中すると暫く目の前が白くなり「何かを見よう」としても暫く見えなくなるばかりではなく、鼻の奥がキーンとして最悪は鼻血が止まらなくなります。
背中に直撃すると数秒間、息ができません。
どちらのケースも「泣くものか」と思ってもムリです。
2つの社宅に僕の大きな鳴き声がこだまします。
さて戦闘開始です。
影に隠れながら「おけら」の入っていないダンゴを握り偵察のため前進です。
今日の敵はいつもより多く感じましたが、「おけら」の殺戮よりはずっとましでした。
子供心に今日は勝ち目なしだと思いましたが、秘策を思いついたのです。
とりあえず、陣地に引き返し隊長に「相手の建物の壁に思いっきり「おけらダンゴ」をぶつけて欲しい」と頼みました。
その間に他のみんなには、ダンゴを数多く作るよう言っておきました。
隊長はリトルリーグのピッチャーなので、(コントロールはわかりませんが)遠投なら並み以上です。
何時ものように標的になりつつ、僕は前進し影に隠れて様子をうかがいます。
そして「今だ!」とばかり隊長に「おけらダンゴ」を投げるように合図をしました。
次々に建物の壁に命中する「おけらダンゴ」。
ぶつかると中のおけらだけが壁に残るのです。
僕は大きな声で「おけらだぞ!」と叫びました。
これを見た敵数人が気持ち悪がって戦意喪失。
「おけら」を見ている敵に既に接近していた僕は非力ながら手にもったダンゴを投げるとなんと命中したのです。
背中に命中した少年はまるで「シャツの中におけらが入っている」かのように、シャツを脱ぎ捨て泣き始めました。
ここで僕たちは在るだけの新しく作った「おけら無しダンゴ」を逃げ帰り始める敵に投げつけ、数発命中しました。
終了アンド帰宅の6時のチャイムは既に鳴って数十分が経過していました。
まだ帰れず隠れて残る「すすり泣く」敵数人に「ダンゴは投げない」と約束をして戦闘は大勝利で終わりました。
泣きながら帰る彼らに隊長は「卑怯者!」と言ったので、僕らは社宅中に響く声で「卑怯者!卑怯者!」と連呼し泣いて降伏する彼らに大合唱しました。
勿論、まだ小さかった僕には「卑怯者」の意味などわかりません。
空には大きな星が輝いていました。

家に帰ると当然、門限を過ぎているので玄関は閉ざされ家に入れてもらえません。
悲しくて泣き始めて数分、母親が「何時だと思ってるの!」と扉の向こうから。
「これから門限は守るから」と約束をするとドアが開きましたが、すぐに「ほっぺた」に平手でピンタです。
大勝利の事など忘れてしまうほど泣きました。
そして翌日。
ただで済むわけありません。
隊長は学校で親と共に呼び出し。
前の社宅の親達からこちらの社宅の自治会長にクレームです。
まず、「壁の清掃」で母親達があやまりながら壁の「おけら」を取り除きました。
僕は、母親には「卑怯者をやっつけるために隊長の命令に従っただけ」と言い訳をしておきました。
「僕の発案だった事」がばれたら今度は僕の母親と共に学校に行かなければならないからです。
その日から、社宅では「小学生以上の砂場使用は禁止」という条例が施行されました。
言い換えれば「これでおけらにも平和が戻って来た」わけです。
それから、隊長は中学生になり勉強が忙しくて遊ばなくなってしまいました。
僕は、敵と何故か個別に和平交渉をして数人と仲良くなり、相手の社宅内で行われる「朝のラジオ体操」にもちゃっかり参加していました。
なぜなら、クラスに「芦屋のお嬢様」が転校してきて、前の社宅に住んでいると聞いたからです。
彼女のバースデーパーティーに招待されたり、家で折り紙を折ったり、絵を書いたりと。
それでも長く続きませんでした。
僕の社宅はリストラの関係で売ることになり、僕はすぐに転校することになりました。
転校する前に祖母が家に来た時、砂場で鳴く「ジーーー」に「これはミミズよ」と言われ僕は「うんそうだよ。おけらはみんな殺されちゃったからね。鳴くわけないよ。」と答えました。
遠くには、梅雨の末期の雷鳴が響き、もうすぐ来る夏休みへの期待と、この場を去っていく寂しさが胸に沁みていきました。
砂場では、おけらが泣いていました。

下北沢の空き地に響くおけらの声が、遠ざかっていく少年時代にたたずむ僕を呼び止めていました。
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  1. 2012/07/27(金) 13:43:25|
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