NOCEの家具バイヤーズブログ 2014年1月24日 偽善と慈善

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2014年1月24日 偽善と慈善

今週も寒い日が続きました。
ただ、今日はまるで春の到来を感じさせるくらい暖かな日になっています。
そして明日は、更に暖かくなるそうです。
今週末、NOCEのある地域のお天気ですが、土日とも曇りや雨または雪といった地域が多く、晴れるのは土曜日の関東と日曜日の広島だけになるそうです。
土曜日は、全国的に暖かくなるそうで、特に東京は晴れて最高気温が16度に達するとの予報が出ています。
早い春を感じながらお出掛けはいかがでしょうか。
その際には是非NOCEEお立ち寄りいただければと、全国スタッフ一同お客様の御来店を心よりお待ち申し上げております。

話は、下北沢駅がまだ地上に在った頃です。
30後半から40歳くらいの小奇麗な男性が「職が見つからなく、今日のお金がありません」と紙に書いて、お金を入れる箱を持って立っていました。
場所柄、芝居の練習かと思いました。
下北沢ならどこにでもいそうな、ルックスも悪くない職業不詳なカジュアルな人です。
僕は、下北沢に現れた若いホームレスにショックを感じながらも「なんでこの人、仕事見つからないんだろう」と漠然と思っていました。
それから彼を、毎日見るようになりました。
ただまわりの彼を見る目は下北沢とは言え冷たく、避けるように歩いていきます。
「働くのがイヤで、楽して金稼ごうとしてる」と批判する声も聞きました。
そして彼は、毎日同じ服を着ているので日に日に汚くなり最初の様子とは随分変わっていきました。
ある夏の昼、彼が道路の端にうつ伏せになっていました。
僕は「大丈夫ですか?」と声をかけると彼はただうなずくだけでした。
その横で、宗教団体が慈善募金をしていました。
なんとも言えない怒りがこみ上げてしまい、「目の前にいる人、助けられなくて一体誰を助けるつもりなんだ?」と思いましたが「じゃあ自分はどうなんだ」と自問してしまいました。
その時、イタリア人の僕の家具ビジネスの師匠の事を思い出しました。
彼は、家具の生産地であるベネチアの北にあるウディネに住む5カ国語を話すビジネスマンです。
風貌は、スキンヘッドに大柄な体でゴルチェのサングラスに黒のスーツ。
どこから見ても○フィアの大物です。
彼とは、ウディネだけでなくケルンやミラノにもよく行きました。
彼といると楽でした。
なぜならば視線は全部彼に集中し、アジア人の僕には来ないからです。
ミラノでサローネが終わりその夜、レストランに向かう途中ジプシーが寄ってきた時のことでした。
ミラノでは悪名高きジプシーです。
僕は、必ず物乞いに来ても無視します。
うっかり近づくと巧妙に物品を持っていかれるからです。
近寄るジプシーに僕は、てっきり逃げるのかと思ったら彼はポケットから財布を取り出し500円相当の札を渡したのです。
彼は路上で物乞いをする人を見るといつもお金を箱や缶に入れていました。
敬虔なクリスチャンなのか、チップのある国の習慣なのかわかりませんが、僕も彼にならって余ったコインを缶に入れようとすると「お前はする必要はない」と言い「これは、自分が生きていることの感謝のしるしなんだ」と言いました。
所謂、「ほどこし」という事です。
電車で席を譲るのと変わらないと思いいます。
日本では、こういった風習に慣れていません。
席を譲るにも勇気がいります。
周囲の目を気にして気恥かしかったり、「偽善者に見られたりしないか」と思うからです。
まして、お金をあげるなど論外です。
「どんな金持ち?」とか「偽善者のスタンドプレー」に思われます。
話を下北沢に戻します。
僕は、急いで会社に帰って財布からお金を取り出しうつ伏せになっている彼の横にある箱に入れました。
このお金は、僕の今晩の飲みを節約すれば捻出できるものです。
それから、僕は何回か彼の箱にお金を入れました。
彼の顔はしだいにやつれ変形し、初めて見た時とは全く別人になっていきました。
最後に見た彼は、「手足が曲がり常に体が動いてしまう」自分では制御出来ないような状況でした。
僕は、何も出来ない自分にただ目から涙が溢れるばかりでした。
「ここって下北沢だよね」「誰も救う事は出来ないのか」と。
彼が居なくなってから、今度は腰の曲がった70歳以上のおじいちゃんが「この年では働くこともできずに・・・・」と書いて箱が置いてありました。
僕は、迷わずまるでイタリア人のように当たり前にお金を入れました。
ある日、僕がお金を箱に入れると若い女子が僕に続いて入れたこともありました。
それでもこのおじいちゃんもだんだん腰が曲がり最後は半裸状態で服も自分で着られない状態になっていきました。
僕は、この時も何もできない自分にまた涙が出てしまいました。
それから、下北沢の地下化とともにおじいちゃんの姿を見ることは無くなりました。

そしてです。
これを言うためにここまで引っ張りました。
なんとこのおじいちゃん、僕がカフェノルマーレに行った時、腰は曲がったままですが小奇麗な身なりでコーヒーを飲んでいたのです。
帰る時に、ノルマーレはセルフのカフェではありませんが飲み終わったカップとシュガーポットを自分で戻し「ありがとう」とお金を払って帰りました。
聞けば、もう数回いらっしゃっていただいているそうで、立派な常連さんなのです。
勿論、僕がここの関係者だとわかるわけありません。
きっと誰かが、彼に手を差しのべたのです。
とても幸せな気持ちになりましたが、「助けられなかった僕はただの偽善者の自己満足なのか」「全てのホームレスなど救う事などできないから全て無視すべきなのか」を考えてしまいました。
それともあのイタリア人のように「救わなければ」ではなく「ほどこし」と考えればいいのでしょうか。
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  1. 2014/01/24(金) 16:06:42|
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